らだを大事にしなくってはいけないという注意があって、東京の者はみんな利口で人が悪いから用心しろと書いて、学資は毎月月末に届くようにするから安心しろとあって、勝田《かつた》の政《まさ》さんの従弟《いとこ》に当る人が大学校を卒業して、理科大学とかに出ているそうだから、尋ねて行って、万事よろしく頼むがいいで結んである。肝心《かんじん》の名前を忘れたとみえて、欄外というようなところに野々宮《ののみや》宗八《そうはち》どのと書いてあった。この欄外にはそのほか二、三件ある。作《さく》の青馬《あお》が急病で死んだんで、作は大弱りである。三輪田《みわた》のお光《みつ》さんが鮎《あゆ》をくれたけれども、東京へ送ると途中で腐ってしまうから、家内《うち》で食べてしまった、等である。
 三四郎はこの手紙を見て、なんだか古ぼけた昔から届いたような気がした。母にはすまないが、こんなものを読んでいる暇はないとまで考えた。それにもかかわらず繰り返して二へん読んだ。要するに自分がもし現実世界と接触しているならば、今のところ母よりほかにないのだろう。その母は古い人で古いいなかにおる。そのほかには汽車の中で乗り合わした女がいる。あれは現実世界の稲妻《いなずま》である。接触したというには、あまりに短くってかつあまりに鋭すぎた。――三四郎は母の言いつけどおり野々宮宗八を尋ねることにした。
 あくる日は平生よりも暑い日であった。休暇中だから理科大学を尋ねても野々宮君はおるまいと思ったが、母が宿所を知らせてこないから、聞き合わせかたがた行ってみようという気になって、午後四時ごろ、高等学校の横を通って弥生町《やよいちょう》の門からはいった。往来は埃《ほこり》が二寸も積もっていて、その上に下駄《げた》の歯や、靴《くつ》の底や、草鞋《わらじ》の裏がきれいにできあがってる。車の輪と自転車のあとは幾筋だかわからない。むっとするほどたまらない道だったが、構内へはいるとさすがに木の多いだけに気分がせいせいした。とっつきの戸をあたってみたら錠が下りている。裏へ回ってもだめであった。しまいに横へ出た。念のためと思って押してみたら、うまいぐあいにあいた。廊下の四つ角に小使が一人居眠りをしていた。来意を通じると、しばらくのあいだは、正気を回復するために、上野《うえの》の森をながめていたが、突然「おいでかもしれません」と言って奥へはい
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