B机の上には何があるかわからない。高い背《せ》が研究を隠している。三四郎は入口に近くすわって、
「御勉強ですか」と丁寧に聞いた。先生は顔をうしろへねじ向けた。髭《ひげ》の影が不明瞭にもじゃもじゃしている。写真版で見ただれかの肖像に似ている。
「やあ、与次郎かと思ったら、君ですか、失敬した」と言って、席を立った。机の上には筆と紙がある。先生は何か書いていた。与次郎の話に、うちの先生は時々何か書いている。しかし何を書いているんだか、ほかの者が読んでもちっともわからない。生きているうちに、大著述にでもまとめられれば結構だが、あれで死んでしまっちゃあ、反古《ほご》がたまるばかりだ。じつにつまらない。と嘆息していたことがある。三四郎は広田の机の上を見て、すぐ与次郎の話を思い出した。
「おじゃまなら帰ります。べつだんの用事でもありません」
「いや、帰ってもらうほどじゃまでもありません。こっちの用事もべつだんのことでもないんだから。そう急に片づけるたちのものをやっていたんじゃない」
三四郎はちょっと挨拶《あいさつ》ができなかった。しかし腹のうちでは、この人のような気分になれたら、勉強も楽にできてよかろうと思った。しばらくしてから、こう言った。
「じつは佐々木君のところへ来たんですが、いなかったものですから……」
「ああ。与次郎はなんでもゆうべから帰らないようだ。時々漂泊して困る」
「何か急に用事でもできたんですか」
「用事はけっしてできる男じゃない。ただ用事をこしらえる男でね。ああいうばかは少ない」
三四郎はしかたがないから、
「なかなか気楽ですな」と言った。
「気楽ならいいけれども。与次郎のは気楽なのじゃない。気が移るので――たとえば田の中を流れている小川のようなものと思っていれば間違いはない。浅くて狭い。しかし水だけはしじゅう変っている。だから、する事が、ちっとも締まりがない。縁日へひやかしになど行くと、急に思い出したように、先生松を一鉢《ひとはち》お買いなさいなんて妙なことを言う。そうして買うともなんとも言わないうちに値切《ねぎ》って買ってしまう。その代り縁日ものを買うことなんぞはじょうずでね。あいつに買わせるとたいへん安く買える。そうかと思うと、夏になってみんなが家を留守《るす》にするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸をたてて錠をおろしてしまう。帰ってみると、松が
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