、思いがけなくある実際上の効果を収めえたのであるから、手紙そのものにはそれほど興味がない。少なくとも、小説的な情調のもとに、それを読みえなかった自分にはそういう興味はなかった。そこが前にあげたフランスの二作家と違うところで、そこがまた彼らよりも散文的な自分をして、彼らの例にならって、その手紙をこの話の中心として、一字残らず写さしめなかった原因になる。
手紙は疑いもなく宿屋で発見されたのである。場所もほとんどフランスの作家の筆にしたところとほとんど変わりはない。けれどもどうしてかどんな手紙をとかいう問いに答えるためには、それを発見した当時から約一週間ほどまえにさかのぼって説明する必要がある。
いよいよK市へ立つという前の晩になって、妻《さい》がちょうどいいついでだから、帰りに重吉《じゅうきち》さんのところへ寄っていらっしゃい、そうして重吉さんに会って、あのことをもっとはっきりきめていらっしゃい。なんだか紙鳶《たこ》が木の枝へ引っかかっていながら、途中で揚がってるような気がしていけませんからと言った。重吉のことは自分も同感であった。それにしても妻によくこんな気のきいた言葉が使えると思って、お前誰かに教わったのかいと、なにも答えないさきに、まず冗談半分の疑いをほのめかしてみた。すると妻は存外まじめきった顔つきで、なにをですと問い返した。開き直ったというほどでもないが、こっちの意味が通じなかったことだけはたしかなようにみえたから、自分は紙鳶の話はそれぎりにして、直接重吉のことを談合した。
重吉というのは自分の身内ともやっかいものともかたのつかない一種の青年であった。一時は自分の家《うち》に寝起きをしてまで学校へ通ったくらい関係は深いのであるが、大学へはいって以来下宿をしたぎり、四年の課程を終わるまで、とうとう家へは帰らなかった。もっとも別に疎遠になったというわけではない、日曜や土曜もしくは平日でさえ気に向いた時はやって来て長く遊んでいった。元来が鷹揚《おうよう》なたちで、素直に男らしく打ちくつろいでいるようにみえるのが、持って生まれたこの人の得であった。それで自分も妻もはなはだ重吉を好いていた。重吉のほうでも自分らを叔父《おじ》さん叔母《おば》さんと呼んでいた。
二
重吉は学校を出たばかりである。そうして出るやいなやすぐいなかへ行ってしまった。なぜそんな
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