ちがい》をしたものと見えて「いつか夏目さんといっしょに皆でウィンブルドンへでも行ったらどうでしょう」と父君と母上に向って動議を提出する、父君と母上は一斉に余が顔を見る、余ここにおいてか少々尻こそばゆき状態に陥るのやむをえざるに至れり、さりながら妙齢なる美人より申し込まれたるこの果し状を真平《まっぴら》御免蒙《ごめんこうむ》ると握りつぶす訳には行かない、いやしくも文明の教育を受けたる紳士が婦人に対する尊敬を失しては生涯《しょうがい》の不面目だし、かつやこれでもかこれでもかと余が咽喉《のど》を扼《やく》しつつある二寸五分のハイカラの手前もある事だから、ことさらに平気と愉快を等分に加味した顔をして「それは面白いでしょうしかし……」「御勉強で御忙しいでしょうが今度の土曜ぐらいは御閑《おひま》でいらっしゃいましょう」とだんだん切り込んでくる、余が「しかし……」の後には必ずしも多忙が来ると限っておらない、自分ながら何のための「しかし」だかまだ判然せざるうちにこう先《せん》を越されてはいよいよ「しかし」の納り場がなくなる、「しかしあまり人通りの多い所ではエー……アノーまだ練《な》れませんから」とようやく一方の活路を開くや否や「いえ、あの辺の道路は実に閑静なものですよ」とすぐ通せん坊をされる、進退《しんたい》これきわまるとは啻《ただ》に自転車の上のみにてはあらざりけり、と独《ひと》りで感心をしている、感心したばかりでは埒《らち》があかないから、この際|唯一《ゆいいつ》の手段として「しかし」をもう一遍|繰《く》り返《かえ》す「しかし……今度の土曜は天気でしょうか」旗幟《きし》の鮮明ならざること夥《おびただ》しい誰に聞いたって、そんな事が分るものか、さてもこの勝負男の方負とや見たりけん、審判官たる主人は仲裁乎《ちゅうさいこ》として口を開いて曰《いわ》く、日はきめんでもいずれそのうち私が自転車で御宅へ伺いましょう、そしていっしょに散歩でもしましょう、――サイクリストに向っていっしょに散歩でもしましょうとはこれいかに、彼は余を目してサイクリストたるの資格なきものと認定せるなり
このうつくしき令嬢と「ウィンブルドン」に行かなかったのは余の幸であるかはた不幸であるか、考うること四十八時間ついに判然しなかった、日本派の俳諧師《はいかいし》これを称して朦朧体《もうろうたい》という
忘月忘日 数日来の手痛き経験と精緻《せいち》なる思索とによって余は下の結論に到着した
[#ここから2字下げ]
自転車の鞍《くら》とペダルとは何も世間体を繕《つくろ》うために漫然と附着しているものではない、鞍は尻をかけるための鞍にしてペダルは足を載せかつ踏みつけると回転するためのペダルなり、ハンドルはもっとも危険の道具にして、一度《ひとた》びこれを握るときは人目を眩《くらま》せしむるに足る目勇《めざま》しき働きをなすものなり
[#ここで字下げ終わり]
かく漆桶《しっとう》を抜くがごとく自転悟を開きたる余は今例の監督官及びその友なる貴公子某伯爵と共に※[#「金+(鹿/れっか)」、第3水準1−93−42]《くつわ》を連《つら》ねて「クラパムコンモン」を横ぎり鉄道馬車の通う大通りへ曲らんとするところだと思いたまえ、余の車は両君の間に介在して操縦すでに自由ならず、ただ前へ出られるばかりと思いたまえ、しかるに出られべき一方口が突然|塞《ふさが》ったと思いたまえ、すなわち横ぎりにかかる塗炭《とたん》に右の方より不都合なる一輛《いちりょう》の荷車が御免《ごめん》よとも何とも云わず傲然《ごうぜん》として我前を通ったのさ、今までの態度を維持すれば衝突するばかりだろう、余の主義として衝突はこちらが勝つ場合についてのみあえてするが、その他負色の見えすいたような衝突になるといつでも御免蒙るのが吾家伝来の憲法である、さるによってこの尨大《ぼうだい》なる荷車と老朽悲鳴をあげるほどの吾が自転車との衝突は、おやじの遺言としても避けねばならぬ、と云って左右へよけようとすると御両君のうちいずれへか衝突の尻をもって行かねばならん、もったいなくも一人は伯爵の若殿様で、一人は吾が恩師である、さような無礼な事は平民たる我々|風情《ふぜい》のすまじき事である、のみならず捕虜の分際として推参な所作と思わるべし、孝ならんと欲すれば礼ならず、礼ならんと欲すれば孝ならず、やむなくんば退却か落車の二あるのみと、ちょっとの間に相場がきまってしまった、この時事に臨んでかつて狼狽《ろうばい》したる事なきわれつらつら思うよう、できさえすれば退却も満更《まんざら》でない、少なくとも落車に優《まさ》ること万々なりといえども、悲夫|逆艪《さかろ》の用意いまだ調《ととの》わざる今日の時勢なれば、エー仕方がない思い切って落車にしろ、と両車の間に堂と落つ、折しも余を去る事二間ばかりのところに退屈そうに立っていた巡査――自転車の巡査におけるそれなお刺身のツマにおけるがごときか、何ぞそれ引き合に出るのはなはだしき――このツマ的巡査が声を揚げてアハ、アハ、アハ、と三度笑った。その笑い方苦笑にあらず、冷笑にあらず、微笑にあらず、カンラカラカラ笑にあらず、全くの作り笑なり、人から頼まれてする依托笑なり、この依托笑をするためにこの巡査はシックスペンスを得たか、ワン・シリングを得たか、遺憾《いかん》ながらこれを考究する暇がなかった、
へんツマ巡査などが笑ったってとすぐさま御両君の後を慕って馳《か》け出す、これが巡公でなくって先日の御娘さんだったらやはりすぐさま馳け出されるかどうだかの問題はいざとならなければ解釈がつかないから質問しない方がいいとして先へ進む、さて両君はこの辺の地理不案内なりとの口実をもって覚束《おぼつか》なき余に先導たるべしとの厳命を伝えた、しかるに案内には詳《くわ》しいが自転車には毫《ごう》も詳しくないから、行こうと思う方へは行かないで曲り角へくるとただ曲りやすい方へ曲ってしまう、ここにおいてか同じ所へ何返《なんべん》も出て来る、始めの内は何とかかんとかごまかしていたが、そうは持ち切れるものでない、今度は違った方へ行こうとの御意である、よろしいと口には云ったようなものの、ままにならぬは浮世の習、容易にそっちの方角へ曲らない、道幅三分の二も来た頃、やっとの思でハンドルをギューッと捩《ねじ》ったら、自転車は九十度の角度を一どきに廻ってしまった、その急廻転のために思いがけなき功名を博し得たと云う御話しは、明日の前講になかという価値もないから、すぐ話してしまう、この時まで気がつかなかったがこの急劇なる方向転換の刹那《せつな》に余と同じ方角へ向けて余に尾行して来た一人のサイクリストがあった、ところがこの不意撃《ふいうち》に驚いて車をかわす暇もなくもろくも余の傍で転がり落ちた、後で聞けば、四ツ角を曲る時にはベルを鳴すか片手をあげるか一通りの挨拶《あいさつ》をするのが礼だそうだが、落天の奇想を好む余はさような月並主義を採《と》らない、いわんやベルを鳴したり手を挙《あ》げたり、そんな面倒な事をする余裕はこの際少しもなきにおいてをやだ、ここにおいてかこのダンマリ転換を遂行するのも余にとっては万やむをえざるに出たもので、余のあとにくっついて来た男が吃驚《びっくり》して落車したのもまた無理のないところである、双方共無理のないところであるから不思議はない、当然の事であるが、西洋人の論理はこれほどまで発達しておらんと見えて、彼の落ち人|大《おおい》に逆鱗《げきりん》の体で、チンチンチャイナマンと余を罵《ののし》った、罵られたる余は一矢酬《いっしむく》ゆるはずであるが、そこは大悠《だいゆう》なる豪傑の本性をあらわして、御気の毒だねの一言を遺《のこ》してふり向もせずに曲って行く、実はふり向こうとするうちに車が通り過ぎたのである、「御気の毒だね」よりほかの語が出て来なかったのである、正直なる余は苟且《こうしょ》にも豪傑など云う、一種の曲者と間違らるるを恐れて、ここにゆっくり弁解しておくなり、万一余を豪傑だなどと買被《かいかぶ》って失敬な挙動あるにおいては七生まで祟《たた》るかも知れない、
忘月忘日 人間万事漱石の自転車で、自分が落ちるかと思うと人を落す事もある、そんなに落胆したものでもないと、今日はズーズーしく構えて、バタシー公園へと急ぐ、公園はすこぶる閑静だが、その手前三丁ばかりのところが非常の雑沓《ざっとう》な通りで、初学者たる余にとっては難透難徹の難関である、今しも余の自転車は「ラヴェンダー」坂を無難に通り抜けて、この四通八達の中央へと乗り出す、向うに鉄道馬車が一台こちらを向いて休んでいる、その右側に非常に大なる荷車が向うむきに休んでいる、その間約四尺ばかり、余はこの四尺の間をすり抜けるべく車を走らしたのである、余が車の前輪が馬車馬の前足と並んだ時、すなわち余の身体《からだ》が鉄道馬車と荷車との間に這入《はい》りかけた時、一台の自転車が疾風のごとく向《むこう》から割り込んで来た、かようなとっさの際には命が大事だから退却にしようか落車にしようかなどの分別は、さすがの吾輩にも出なかったと見えて、おやと思ったら身体はもう落ちておった、落方が少々まずかったので、落る時左の手でしたたか馬の太腹を叩《たた》いて、からくも四這《よつばい》の不体裁を免《まぬ》がれた、やれうれしやと思う間もなく鉄道馬車は前進し始める、馬は驚ろいて吾輩の自転車を蹴飛《けとば》す、相手の自転車は何喰わぬ顔ですうと抜けて行く、間《ま》の抜《ぬけ》さ加減は尋常一様にあらず、この時|派出《はで》やかなるギグに乗って後ろから馳《か》け来《きた》りたる一個の紳士、策《むち》を揚《あ》げざまに余が方を顧《かえり》みて曰《いわ》く大丈夫だ安心したまえ、殺しやしないのだからと、余心中ひそかに驚いて云う、して見ると時には自転車に乗せて殺してしまうのがあるのかしらん英国は険呑《けんのん》な所だと
* * *
余が廿貫目の婆さんに降参して自転車責に遇《あ》ってより以来、大落五度小落はその数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛《むこうずね》を擦《す》りむき、或る時は立木に突き当って生爪《なまづめ》を剥《は》がす、その苦戦云うばかりなし、しかしてついに物にならざるなり、元来この二十貫目の婆さんはむやみに人を馬鹿にする婆さんにして、この婆さんが皮肉に人を馬鹿にする時、その妹の十一貫目の婆さんは、瞬《またた》きもせず余が黄色な面を打守りていかなる変化が余の眉目《びもく》の間《かん》に現るるかを検査する役目を務める、御役目御苦労の至りだ、この二婆さんの呵責《かしゃく》に逢《あっ》てより以来、余が猜疑心《さいぎしん》はますます深くなり、余が継子根性《ままここんじょう》は日に日に増長し、ついには明け放しの門戸を閉鎖して我黄色な顔をいよいよ黄色にするのやむをえざるに至れり、彼二婆さんは余が黄色の深浅を測《はか》って彼ら一日のプログラムを定める、余は実に彼らにとって黄色な活動晴雨計であった、たまた※[#小書き片仮名マ、695−8]降参を申し込んで贏《あま》し得たるところ若干《いくばく》ぞと問えば、貴重な留学時間を浪費して下宿の飯を二人前食いしに過ぎず、さればこの降参は我に益なくして彼に損ありしものと思惟《しい》す、無残なるかな、
底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:大野晋
1999年10月29日公開
2004年2月26日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング