野繁太郎氏などがあって、それ等の人はなかなか出来る方であったが、私達遊び仲間の連中は総《すべ》て不成績で、漸次《だんだん》、是等《これら》の諸氏と席の方が遠ざかるばかりであった。
五
不勉強位であったから、どちらかと云えば運動は比較的好きの方であったが、その運動も身体《からだ》が虚弱であった為め、規則正しい運動を努《つと》めてやったというのではない。唯《ただ》遊んだという方に過ぎないが、端艇競漕《ボートレース》などは先《ま》ず好んで行《や》った方であろう。前の中村是公氏などは、中々運動は上手の方で、何時《いつ》もボートではチャンピオンになっていた位であるが、私は好きでやったと云っても、チャンピオンなどには如何《どう》してもなれなかった。
その他運動と云っても、当時は未《ま》だベースボールもなく、庭球《テニス》もなかったから、普通体操位のもので、兵式体操はやらなかった。要するに運動というより気儘《きまま》勝手に遊び暮したという方で、よく春の休みなどになると、机を悉皆《すっかり》取片附けて了《しま》って、足押、腕押などいう詰らぬ運動――遊びをしては騒いでいたものである。試験になってもそう心配はしない。「我|豈《あ》に試験の点数などに関せんや」と云ったような考で、全く勉強と云う勉強はせずに居たから、頭脳は発達せず、成績はますます悪くなるばかり。一体私は頭の悪い方で――今でも然《そ》うだが――それに不勉強の方であったから、学校での信用も次第と無くなり、遂《つ》いに予科二年の時落第という運命に立ち至った。
落第して見ると誰も同じこと、さすがに可《い》い気持はせぬ。それからは前と違って、真面目《まじめ》に勉強もするようになったが、矢張り人普通のことをやったまでで、特別に厳しい勉強を続けたというのではない。
教場へ出ていても前と異って、ただ非常に注意して教師のいわれるのを聞くようにしたと云う位のものであった。真面目《まじめ》に勉強し、学校に出ても真面目に教師のいうことを注意して聞くようにすれば、然《そ》う矢鱈《やたら》に苦しまなくとも、普通ならやってゆかれることと思う。だから、私は仮令《よし》真面目な勉強をするようになった後でも、試験の前々から決して苦しむようなことはせず、試験のその前夜になって、始めて験《しら》べて置くというような方法を採《と》っていた位である。
六
丁度《ちょうど》予科の三年、十九歳頃のことであったが、私の家は素《もと》より豊かな方ではなかったので、一つには家から学資を仰がずに遣《や》って見ようという考えから、月五円の月給で中村是公氏と共に私塾の教師をしながら予科の方へ通っていたことがある。
これが私の教師となった始めで、其私塾は江東義塾と云って本所に在《あ》った。或る有志の人達が協同して設けたものであるが、校舎はやはり今考えて見ても随分不潔な方の部類であった。
一カ月五円と云うと誠に少額ではあるが、その頃はそれで不足なくやって行けた。塾の寄宿舎に入っていたから、舎費|即《すなわ》ち食糧費としては月二円で済《す》み、予備門の授業料といえば月|僅《わずか》に二十五銭(尤《もっと》も一学期分|宛《ずつ》前納することにはなっていたが)それに書物は大抵学校で貸し与えたから、格別その方には金も要《かか》らなかった。先《ま》ず此の中から湯銭の少しも引き去れば、後の残分は大抵|小遣《こづか》いになったので、五円の金を貰うと、直ぐその残分|丈《だ》けを中村是公氏の分と合せて置いて、一所《いっしょ》に出歩いては、多く食う方へ費して了《しま》ったものである。
時間も、江東義塾の方は午後二時間|丈《だ》けであったから、予備門から帰って来て教えることになっていた。だから、夜などは無論落ち附いて、自由に自分の勉強をすることも出来たので、何の苦痛も感ぜず、約一年|許《ばか》りもこうしてやっていたが、此の土地は非常に湿気が多い為め、遂《つ》い急性のトラホームを患《わずら》った。それが為め、今も私の眼は丈夫ではない。親はそのトラホームを非常に心配して、「兎《と》に角《かく》、そんな所なら無理に勤めている必要もなかろう」というので、塾の方は退《ひ》き、予備門へは家から通うことにしたが、間もなくその江東義塾は解散になって了《しま》ったのである。
それから、後の学資はいうまでもなく、再び家から仰いでいたが、大学へ進むようになってからは、特に文部省から貸費を受けることとなり、一方では又東京専門学校の講師を勤めつつ、それ程、苦しみもなく大学を卒《お》えたような次第で、要するに何の益するところもなく、私は学生時代を回顧して、むしろ読者諸君のために戒《いましめ》とならんことを望むものである。
底本:「筑摩全集類聚版
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