、何しろあれは英国人の平生の態度ではないようです。名画を破る、監獄《かんごく》で断食《だんじき》して獄丁《ごくてい》を困らせる、議会のベンチへ身体《からだ》を縛《しば》りつけておいて、わざわざ騒々《そうぞう》しく叫び立てる。これは意外の現象ですが、ことによると女は何をしても男の方で遠慮するから構わないという意味でやっているのかも分りません。しかしまあどういう理由にしても変則らしい気がします。一般の英国気質というものは、今お話しした通り義務の観念を離れない程度において自由を愛しているようです。
 それで私は何も英国を手本にするという意味ではないのですけれども、要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。と云うものは、そうしたわがままな自由はけっして社会に存在し得ないからであります。よし存在してもすぐ他から排斥《はいせき》され踏《ふ》み潰《つぶ》されるにきまっているからです。私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚《はばか》らないつもりです。
 この個人主義という意味に誤解があってはいけません。ことにあなたがたのようなお若い人に対して誤解を吹《ふ》き込《こ》んでは私がすみませんから、その辺はよくご注意を願っておきます。時間が逼っているからなるべく単簡に説明致しますが、個人の自由は先刻お話した個性の発展上極めて必要なものであって、その個性の発展がまたあなたがたの幸福に非常な関係を及《およ》ぼすのだから、どうしても他に影響のない限り、僕《ぼく》は左を向く、君は右を向いても差支ないくらいの自由は、自分でも把持《はじ》し、他人にも附与《ふよ》しなくてはなるまいかと考えられます。それがとりも直さず私のいう個人主義なのです。金力権力の点においてもその通りで、俺《おれ》の好かないやつだから畳んでしまえとか、気に喰《く》わない者だからやっつけてしまえとか、悪い事もないのに、ただそれらを濫用《らんよう》したらどうでしょう。人間の個性はそれで全く破壊《はかい》されると同時に、人間の不幸もそこから起らなければなりません。たとえば私が何も不都合を働らかないのに、単に政府に気に入らないからと云って、警視総監《けいしそうかん》が巡査《じゅんさ》に私の家を取り巻かせたらどんなものでしょう。警視総監にそれだけの権力はあるかも知れないが、徳義はそういう権力の使用を彼に許さないのであります。または三井とか岩崎とかいう豪商《ごうしょう》が、私を嫌うというだけの意味で、私の家の召使《めしつかい》を買収して事ごとに私に反抗させたなら、これまたどんなものでしょう。もし彼らの金力の背後に人格というものが多少でもあるならば、彼らはけっしてそんな無法を働らく気にはなれないのであります。
 こうした弊害《へいがい》はみな道義上の個人主義を理解し得ないから起るので、自分だけを、権力なり金力なりで、一般に推し広めようとするわがままにほかならんのであります。だから個人主義、私のここに述べる個人主義というものは、けっして俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。
 もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。朋党《ほうとう》を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動《もうどう》しないという事なのです。それだからその裏面には人に知られない淋《さび》しさも潜んでいるのです。すでに党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。そこが淋しいのです。私がかつて朝日新聞の文芸欄《ぶんげいらん》を担任していた頃、だれであったか、三宅雪嶺《みやけせつれい》さんの悪口を書いた事がありました。もちろん人身攻撃ではないので、ただ批評に過ぎないのです。しかもそれがたった二三行あったのです。出たのはいつごろでしたか、私は担任者であったけれども病気をしたからあるいはその病気中かも知れず、または病気中でなくって、私が出して好いと認定したのかも知れません。とにかくその批評が朝日の文芸欄に載ったのです。すると「日本及び日本人」の連中が怒りました。私の所へ直接にはかけ合わなかったけれども、当時私の下働きをしていた男に取消《とりけし》を申し込んで来ました。それが本人からではないのです。雪嶺さんの子分――子分というと何だか博奕打《ばくちうち》のようでおかしいが、――まあ同人といったようなもの
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