るのです。しかしこれはほんのついでに申し上《あげ》る事で、話の筋に関係した問題でもありませんから深くは立ち入りません。――何しろ私はその変な画を眺めるだけで、講演の内容をちっとも組み立てずに暮らしてしまったのです。
 そのうちいよいよ二十五日が来たので、否《いや》でも応でもここへ顔を出さなければすまない事になりました。それで今朝《けさ》少し考《かんがえ》を纏《まと》めてみましたが、準備がどうも不足のようです。とてもご満足の行くようなお話はできかねますから、そのつもりでご辛防《しんぼう》を願います。
 この会はいつごろから始まって今日まで続いているのか存じませんが、そのつどあなたがたがよその人を連れて来て、講演をさせるのは、一般の慣例として毫《ごう》も不都合でないと私も認めているのですが、また一方から見ると、それほどあなた方の希望するような面白い講演は、いくらどこからどんな人を引張《ひっぱ》って来ても容易に聞かれるものではなかろうとも思うのです。あなたがたにはただよその人が珍《めず》らしく見えるのではありますまいか。
 私が落語家《はなしか》から聞いた話の中にこんな諷刺的《ふうしてき》のがあります。――昔《むか》しあるお大名が二人《ふたり》目黒辺へ鷹狩《たかがり》に行って、所々方々を馳《か》け廻《まわ》った末、大変空腹になったが、あいにく弁当の用意もなし、家来とも離《はな》れ離《ばな》れになって口腹を充《み》たす糧《かて》を受ける事ができず、仕方なしに二人はそこにある汚《きた》ない百姓家《ひゃくしょうや》へ馳け込んで、何でも好いから食わせろと云ったそうです。するとその農家の爺《じい》さんと婆《ばあ》さんが気の毒がって、ありあわせの秋刀魚《さんま》を炙《あぶ》って二人の大名に麦飯を勧めたと云います。二人はその秋刀魚を肴《さかな》に非常に旨《うま》く飯を済まして、そこを立出《たちいで》たが、翌日になっても昨日の秋刀魚の香《かおり》がぷんぷん鼻を衝《つ》くといった始末で、どうしてもその味を忘れる事ができないのです。それで二人のうちの一人が他を招待して、秋刀魚のご馳走《ちそう》をする事になりました。その旨《むね》を承《うけたま》わって驚ろいたのは家来です。しかし主命ですから反抗《はんこう》する訳にも行きませんので、料理人に命じて秋刀魚の細い骨を毛抜《けぬき》で一本一本|抜《ぬ》かして、それを味淋《みりん》か何かに漬《つ》けたのを、ほどよく焼いて、主人と客とに勧めました。ところが食う方は腹も減っていず、また馬鹿丁寧《ばかていねい》な料理方で秋刀魚の味を失った妙《みょう》な肴を箸《はし》で突《つ》っついてみたところで、ちっとも旨くないのです。そこで二人が顔を見合せて、どうも秋刀魚は目黒に限るねといったような変な言葉を発したと云うのが話の落《おち》になっているのですが、私から見ると、この学習院という立派な学校で、立派な先生に始終接している諸君が、わざわざ私のようなものの講演を、春から秋の末まで待ってもお聞きになろうというのは、ちょうど大牢の美味に飽《あ》いた結果、目黒の秋刀魚がちょっと味わってみたくなったのではないかと思われるのです。
 この席におられる大森教授は私と同年かまたは前後して大学を出られた方ですが、その大森さんが、かつて私にどうも近頃《ちかごろ》の生徒は自分の講義をよく聴《き》かないで困る、どうも真面目《まじめ》が足りないで不都合《ふつごう》だというような事を云われた事があります。その評はこの学校の生徒についてではなく、どこかの私立学校の生徒についてだったろうと記憶していますが、何しろ私はその時大森さんに対して失礼な事を云いました。
 ここで繰り返していうのもお恥《は》ずかしい訳ですが、私はその時、君などの講義をありがたがって聴く生徒がどこの国にいるものかと申したのです。もっとも私の主意はその時の大森君には通じていなかったかも知れませんから、この機会を利用して、誤解を防いでおきますが、私どもの書生時代、あなたがたと同年輩《どうねんぱい》、もしくはもう少し大きくなった時代、には、今のあなたがたよりよほど横着で、先生の講義などはほとんど聴いた事がないと云っても好いくらいのものでした。もちろんこれは私や私の周囲のものを本位として述べるのでありますから、圏外《けんがい》にいたものには通用しないかも知れませんけれども、どうも今の私からふり返ってみると、そんな気がどこかでするように思われるのです。現にこの私は上部《うわべ》だけは温順らしく見えながら、けっして講義などに耳を傾《かたむ》ける性質ではありませんでした。始終|怠《なま》けてのらくらしていました。その記憶をもって、真面目な今の生徒を見ると、どうしても大森君のように、彼らを攻撃《こうげき
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