自分の眼を射るように思われたり、家並《いえなみ》が締りのない東京より整って好ましいように見えたり、河が幾筋もあってその河には静かな水が豊かに流れていたり、眼先の変った興味が日に一つ二つは必ずあった。
佐野には浜寺でいっしょに飯を食った次の晩また会った。今度は彼の方から浴衣《ゆかた》がけで岡田を尋ねて来た。自分はその時もかれこれ二時間余り彼と話した。けれどもそれはただ前日の催しを岡田の家で小規模に繰返したに過ぎなかったので、新しい印象と云っては格別頭に残りようがなかった。だから本当をいうとただ世間並の人というほかに、自分は彼について何も解らなかった。けれどもまた母や岡田に対する義務としては、何も解らないで澄ましている訳にも行かなかった。自分はこの二三日の間に、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了《けつりょう》した旨《むね》の報告を書いた。
仕方がないから「佐野さんはあの写真によく似ている」と書いた。「酒は呑《の》むが、呑んでも赤くならない」と書いた。「御父さんのように謡《うたい》をうたう代りに義太夫を勉強しているそうだ」と書いた。最後に岡田夫婦と仲の好さそうな様子を述べて、「あれ
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