拙に属する話だから、相手にはほとんど手応《てごたえ》がなかった。
こう云う場合に馴《な》れた父は「いやあすこは非常に面白く拝聴した」と客の謡《うた》いぶりを一応|賞《ほ》めた後《あと》で、「実はあれについて思い出したが、大変興味のある話がある。ちょうどあの文句を世話に崩《くず》して、景清を女にしたようなものだから、謡よりはよほど艶《えん》である。しかも事実でね」と云い出した。
十三
父は交際家だけあって、こういう妙な話をたくさん頭の中にしまっていた。そうして客でもあると、献酬《けんしゅう》の間によくそれを臨機応変に運用した。多年父の傍《そば》に寝起《ねおき》している自分にもこの女景清《おんなかげきよ》の逸話は始めてであった。自分は思わず耳を傾けて父の顔を見た。
「ついこの間の事で、また実際あった事なんだから御話をするが、その発端《ほったん》はずっと古い。古いたって何も源平時代から説き出すんじゃないからそこは御安心だが、何しろ今から二十五六年前、ちょうど私の腰弁時代とでも云いましょうかね……」
父はこういう前置をして皆《みん》なを笑わせた後《あと》で本題に這入《
前へ
次へ
全520ページ中272ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング