った事もまたなかった。自分は比較的すまして、団扇を見つめている兄の額のあたりをこっちでも見つめていた。
 すると兄が急に首を上げた。
「二郎何とか云わないか」と励《はげ》しい言葉を自分の鼓膜《こまく》に射込んだ。自分はその声でまたはっと平生の自分に返った。
「今云おうと思ってるところです。しかし事が複雑なだけに、何から話して好いか解らないんでちょっと困ってるんです。兄さんもほかの事たあ違うんだから、もう少し打ち解けてゆっくり聞いて下さらなくっちゃ。そう裁判所みたように生真面目《きまじめ》に叱りつけられちゃ、せっかく咽喉《のど》まで出かかったものも、辟易《へきえき》して引込んじまいますから」
 自分がこう云うと、兄はさすがに一見識《ひとけんしき》ある人だけあって、「ああそうかおれが悪かった。お前が性急《せっかち》の上へ持って来て、おれが癇癪持と来ているから、つい変にもなるんだろう。二郎、それじゃいつゆっくり話される。ゆっくり聞く事なら今でもおれにはできるつもりだが」と云った。
「まあ東京へ帰るまで待って下さい。東京へ帰るたって、あすの晩の急行だから、もう直《じき》です。その上で落ちついて
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