》りに捜り寄って見たい気がした。けれどもそれほどの度胸がなかった。そのうち彼女の坐っている見当で女帯の擦《す》れる音がした。
「姉さん何かしているんですか」と聞いた。
「ええ」
「何をしているんですか」と再び聞いた。
「先刻《さっき》下女が浴衣《ゆかた》を持って来たから、着換えようと思って、今帯を解いているところです」と嫂《あによめ》が答えた。
 自分が暗闇《くらやみ》で帯の音を聞いているうちに、下女は古風な蝋燭《ろうそく》を点《つ》けて縁側伝《えんがわづた》いに持って来た。そうしてそれを座敷の床《とこ》の横にある机の上に立てた。蝋燭の焔《ほのお》がちらちら右左へ揺れるので、黒い柱や煤《すす》けた天井はもちろん、灯《ひ》の勢の及ぶ限りは、穏かならぬ薄暗い光にどよめいて、自分の心を淋《さび》しく焦立《いただ》たせた。ことさら床に掛けた軸と、その前に活けてある花とが、気味の悪いほど目立って蝋燭の灯の影響を受けた。自分は手拭《てぬぐい》を持って、また汗を流しに風呂へ行った。風呂は怪しげなカンテラで照らされていた。

        三十六

 自分は佗《わ》びしい光でやっと見分《みわけ》のつ
前へ 次へ
全520ページ中205ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング