いたろうと思う。実を云うと過去一年間において仕出《しで》かした不都合やら義理やら人情やら煩悶《はんもん》やらが破裂して大衝突を引き起した結果、あてどもなくここまで落ちて来たのだから、昨日《きのう》までの自分の事を考えると、どうしたって、こんなに温和《おとな》しくなれる訳がないのだが、実際この時は人に逆《さから》うような気分は薬にしたくっても出て来なかった。そうしてまたそれを矛盾とも不思議とも考えなかった。おそらく考える余裕がなかったんだろう。人間のうちで纏《まとま》ったものは身体《からだ》だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片づいたものだと思って、昨日と今日《きょう》とまるで反対の事をしながらも、やはりもとの通りの自分だと平気で済ましているものがだいぶある。のみならずいったん責任問題が持ち上がって、自分の反覆《はんぷく》を詰《なじ》られた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのはなぜだろう。こう云う矛盾をしばしば経験した自分ですら、無理と思いながらも、いささか責任を感ずるようだ。して見ると人間はなかなか重宝《ちょうほう》に社会の犠牲になるように出来上ったものだ。
 同時に自分のばらばらな魂がふらふら不規則に活動する現状を目撃して、自分を他人扱いに観察した贔屓目《ひいきめ》なしの真相から割り出して考えると、人間ほど的《あて》にならないものはない。約束とか契《ちかい》とか云うものは自分の魂を自覚した人にはとても出来ない話だ。またその約束を楯《たて》にとって相手をぎゅぎゅ押しつけるなんて蛮行は野暮《やぼ》の至りである。大抵の約束を実行する場合を、よく注意して調べて見ると、どこかに無理があるにもかかわらず、その無理を強《しい》て圧《お》しかくして、知らぬ顔でやって退《の》けるまでである。決して魂の自由行動じゃない。はやくから、ここに気がついたなら、むやみに人を恨《うら》んだり、悶《もだ》えたり、苦しまぎれに自宅《うち》を飛び出したりしなくっても済んだかも知れない。たとい飛び出してもこの茶店まで来て、どてら[#「どてら」に傍点]と神さんに対する自分の態度が、昨日までの自分とは打って変ったところを、他人扱いに落ち着き払って比較するだけの余裕があったら、少しは悟れたろう。
 惜しい事に当時の自分には自分に対する研究心と云うものがまるでなかった。ただ口惜《くや》しくって、苦しくって、悲しくって、腹立たしくって、そうして気の毒で、済《す》まなくって、世の中が厭《いや》になって、人間が棄《す》て切れないで、いても立っても、いたたまれないで、むちゃくちゃに歩いて、どてら[#「どてら」に傍点]に引っ掛って、揚饅頭《あげまんじゅう》を喰ったばかりである。昨日は昨日、今日は今日、一時間前は一時間前、三十分後は三十分後、ただ眼前の心よりほかに心と云うものがまるでなくなっちまって、平生から繋続《つなぎ》の取れない魂がいとどふわつき出して、実際あるんだか、ないんだかすこぶる明暸《めいりょう》でない上に、過去一年間の大きな記憶が、悲劇の夢のように、朦朧《もうろう》と一団の妖氛《ようふん》となって、虚空《こくう》遥《はるか》に際限もなく立て罩《こ》めてるような心持ちであった。
 そこで平生の自分なら、なぜ坑夫になれば結構なんだとか、どうして坑夫より下等なものがあるんだとか、自分は儲《もう》ける事ばかりを目的に働く人間じゃないとか、儲けさえすりゃどこがいいんだとか、何とかかとか理窟《りくつ》を捏《こ》ねて、出来るだけ自己を主張しなければ勘弁《かんべん》しないところを、ただおとなしく控えていた。口だけおとなしいのではない、腹の中からまるで抵抗する気が出なかったのである。
 何でもこの時の自分は、単に働けばいいと云う事だけを考えていたらしい。いやしくも働きさえすれば、――いやしくもこのふわふわの魂が五体のうちに、うろつきながらもいられさえすれば、――要するに死に切れないものを、強《しい》て殺してしまうほどの無理を冒《おか》さない以上は、坑夫以上だろうが、坑夫以下だろうが、儲かろうが、儲かるまいが、とんと問題にならなかったものと見える。ただ働く口さえ出来ればそれで結構であるから、働き方の等級や、性質や、結果について、いかに自分の意見と相容《あいい》れぬ法螺《ほら》を吹かれても、またその法螺が、単に自分を誘致するためにする打算的の法螺であっても、またその法螺に乗る以上は理知の人間として自分の人格に尠《すくな》からぬ汚点を貽《のこ》す恐れがあっても、まるで気にならなかったんだろう。こんな時には複雑な人間が非情に単純になるもんだ。
 その上坑夫と聞いた時、何となく嬉《うれ》しい心持がした。自分は第一に死ぬかも知れないと云う決心で自宅《うち》を飛出したのである。それが第二には死ななくっても好いから人のいない所へ行きたいと移って来た。それがまたいつの間にか移って、第三にはともかくも働こうと変化しちまった。ところで、さて働くとなると、並《なみ》の働き方よりも第二に近い方がいい、一歩進めて云えば第一に縁故のある方が望ましい。第一、第二、第三と知らぬ間《あいだ》に心変りがしたようなものの、変りつつ進んで来た、心の状態は、うやむやの間に縁を引いて、擦《ず》れ落ちながらも、振り返って、もとの所を慕いつつ押されて行くのである。単に働くと云う決心が、第二を振り切るほど突飛《とっぴ》でもなかったし、第一と交渉を絶つほど遠くにもいなかったと見える。働きながら、人のいない所にいて、もっとも死に近い状態で作業が出来れば、最後の決心は意のごとくに運びながら、幾分か当初の目的にも叶《かな》う訳になる。坑夫と云えば名前の示すごとく、坑《あな》の中で、日の目を見ない家業《かぎょう》である。娑婆《しゃば》にいながら、娑婆から下へ潜《もぐ》り込んで、暗い所で、鉱塊《あらがね》土塊《つちくれ》を相手に、浮世の声を聞かないで済む。定めて陰気だろう。そこが今の自分には何よりだ。世の中に人間はごてごているが、自分ほど坑夫に適したものはけっしてないに違ない。坑夫は自分に取って天職である。――とここまで明暸《めいりょう》には無論考えなかったが、ただ坑夫と聞いた時、何となく陰気な心持ちがして、その陰気がまた何となく嬉しかった。今思い出して見ると、やっぱりどうあっても他人《ひと》の事としか受け取れない。
 そこで自分はどてら[#「どてら」に傍点]に向ってこう云った。
「僕は一生懸命に働くつもりですが、坑夫にしてくれるでしょうか」
 するとどてら[#「どてら」に傍点]はなかなか鷹揚《おうよう》な態度で、
「すぐ坑夫になるのはなかなかむずかしいんだが、私《わたし》が周旋さえすりゃきっとできる」
と云うから自分もそんなものかなと考えて、しばらく黙っていると、茶店のかみさんがまた口を出した。
「長蔵《ちょうぞう》さんが口を利《き》きさえすりゃ、坑夫は受合《うけあい》だ」
 自分はこの時始めてどてら[#「どてら」に傍点]の名前が長蔵だと云う事を知った。それからいっしょに汽車に乗ったり、下りたりする時に、自分もこの男を捕《つらま》えて二三度長蔵さんと呼んだ事がある。しかし長蔵とはどう書くのか今もって知らない。ここに書いたのはもちろん当字《あてじ》である。始めて家庭を飛出した鼻をいきなり引っ張って、思いも寄らない見当《けんとう》に向けた、云わば自分の生活状態に一転化を与えた人の名前を口で覚えていながら、筆に書けないのは異《い》な事だ。
 さてこの長蔵さんと、茶店のかみさんがきっと坑夫になれると受合うから、自分もなれるんだろうと思って、
「じゃ、どうか何分願います」
と頼んだ。しかしこの茶店に腰を掛けているものが、どうして、どこへ行って、どんな手続で坑夫になるんだかその辺《へん》はさっぱり分らなかった。
 何しろ先方でこのくらい勧めるものだから、何分願いますと云ったら、長蔵さんがどうかするに違ないと思って、あとは聞かずに黙っていた。すると長蔵さんは、勢いよくどてら[#「どてら」に傍点]の尻を床几《しょうぎ》から立てて、
「それじゃこれから、すぐに出掛けよう。御前さん、支度《したく》はいいかい。忘れもののないようによく気をつけて」
と云った。自分はうちを出る時、着のみ着のままで出たのだから、身体《からだ》よりほかに忘れ物のあるはずがない。そこで、
「何にも無いです」
と立ち上がったが、神さんと顔を見合せて気がついた。肝心《かんじん》の揚饅頭《あげまんじゅう》の代を忘れている。長蔵さんは平気な面《つら》をして、もう半分ほど葭簀《よしず》の外に出て往来を眺《なが》めていた。自分は懐中から三十二銭入りの蟇口《がまぐち》を出して饅頭三皿の代を払って、ついでだから茶代として五銭やった。饅頭の代はとうとう忘れちまって思い出せない。ただその時かみさんが、
「坑夫になって、うんと溜めて帰りにまた御寄《おより》」
と云ったのを記憶している。その後《のち》坑夫はやめたが、ついにこの茶店へは寄る機会がなかった。それから長蔵さんに尾《つ》いて、例の飽き飽きした松原へ出て、一本筋を足の甲まで埃《ほこり》を上げて、やって来ると、さっきの長たらしいのに引き易《か》えて今度は存外早く片づいちまった。いつの間《ま》にやら松がなくなったら、板橋街道のような希知《けち》な宿《しゅく》の入口に出て来た。やッぱり板橋街道のように我多馬車《がたばしゃ》が通る。一足先へ出た長蔵さんが、振り返って、
「御前さん馬車へ乗るかい」
と聞くから、
「乗っても好いです」
と答えた。そうしたら今度は
「乗らなくってもいいかい」
と反対の事を尋ねた。自分は
「乗らなくってもいいです」
と答えた。長蔵さんは三度目に
「どうするね」
と云ったから、
「どうでもいいです」
と答えた。その内に馬車は遠くへ行ってしまった。
「じゃ、歩く事にしよう」
と長蔵さんは歩き出した。自分も歩き出した。向うを見ると、今通った馬車の埃《ほこり》が日光にまぶれて、往来が濁ったように黄色く見える。そのうちに人通りがだんだん多くなる。町並がしだいに立派になる。しまいには牛込の神楽坂《かぐらざか》くらいな繁昌《はんじょう》する所へ出た。ここいらの店付《みせつき》や人の様子や、衣服は全く東京と同じ事であった。長蔵さんのようなのはほとんど見当らない。自分は長蔵さんに、
「ここは何と云う所です」
と聞いたら、長蔵さんは、
「ここ? ここを知らないのかい」
と驚いた様子であったが、笑いもせずすぐ教えてくれた。それで所の名は分ったがここにはわざと云わない。自分がこの繁華な町の名を知らなかったのをよほど不思議に感じたと見えて、長蔵さんは、
「お前さん、いったい生れはどこだい」
と聞き出した。考えると、今まで長蔵さんが自分の過去や経歴について、ついぞ一《ひ》と口《くち》も自分に聞いた事がなかったのは、人を周旋する男の所為《しょい》としては、少しく無頓着《むとんじゃく》過ぎるようにも思われたが、この男は全くそんな事に冷淡な性《たち》であった事が後《あと》で分った。この時の質問は全く自分の無知に驚いた結果から出た好奇心に過ぎなかった。その証拠には自分が、
「東京です」
と答えたら、
「そうかい」
と云ったなり、あとは何にも聞かずに、自分を引っ張るようにして、ある横町を曲った。
 実を云うと自分は相当の地位を有《も》ったものの子である。込み入った事情があって、耐《こら》え切れずに生家《うち》を飛び出したようなものの、あながち親に対する不平や面当《つらあて》ばかりの無分別《むふんべつ》じゃない。何となく世間が厭《いや》になった結果として、わが生家まで面白くなくなったと思ったら、もう親の顔も親類の顔も我慢にも見ていられなくなっていた。これは大変だと気がついて、根気に心を取り直そうとしたが、遅かった。踏み答えて見ようと百方に焦慮《あせ》れば焦慮るほど厭になる。揚句《あげく》の果《はて》は踏
前へ 次へ
全34ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング