る。それを小僧はいっこう苦にしない。今咽喉がぐいと動いたかと思うと、またぐいと動く。後《あと》の芋が、前《さき》の芋を追っ懸《か》けてぐいぐい胃の腑《ふ》に落ち込んで行くようだ。二本の芋は、随分大きな奴だったが、これがためたちまち見る間《ま》に無くなってしまった。そうして、小僧はついに何らの異状もなかった。自分ら三人は何にも云わずに、三方から、この小僧の芋を食うところを見ていたが、三人共、食ってしまうまで、一句も言葉を交《か》わさなかった。自分は腹の中《うち》で少しはおかしいと思った。しかし何となく憐れだった。これは単に同情の念ばかりではない。自分が空腹になって、長蔵さんに芋をねだったのは、つい、今しがたで、餓《ひも》じい記憶は気の毒なほど近くにあるのに、この小僧の食い方は、自分より二三層倍|餓《ひも》じそうに見えたからである。そこへ持って来て、長蔵さんが、
「旨《う》まかったか」
と聞いた。自分は芋へ手を出さない先からありがとうと礼を述べたくらいだから、食ったあとの小僧は無論何とか云うだろうと思っていたら、小僧はあやにく何とも云わない。黙って立っている。そうして暮れかかる山の方を見た。後から分ったがこの小僧は全く野生で、まるで礼を云う事を知らないんだった。それが分ってからはさほどにも思わなかったが、この時は何だ顔に似合わない無愛嬌《ぶあいきょう》な奴だなと思った。しかしその丸い顔を半分|傾《かたぶ》けて、高い山の黒ずんで行く天辺《てっぺん》を妙に眺《なが》めた時は、また可愛想《かわいそう》になった。それからまた少し物騒になった。なぜ物騒になったんだかはちょっと疑問である。小さい小僧と、高い山と、夕暮と山の宿《しゅく》とが、何か深い因縁《いんねん》で互に持ち合ってるのかも知れない。詩だの文章だのと云うものは、あんまり読んだ事がないが、おそらくこんな因縁に勿体《もったい》をつけて書くもんじゃないかしら。そうすると妙な所で詩を拾ったり、文章にぶつかったりするもんだ。自分はこの永年《ながねん》方々を流浪《るろう》してあるいて、折々こんな因縁に出っ食わして我ながら変に感じた事が時々ある。――しかしそれも落ちついて考えると、大概解けるに違ない。この小僧なんかやっぱり子供の時に聞いた、山から小僧が飛んで来たが化《ば》け損《そく》なったところくらいだろう。それ以上は余計な事だから
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