時自分にこれだけの長蔵観《ちょうぞうかん》があったらだいぶ面白かったろうが、何しろ魂に逃げだされ損なっている最中だったから、なかなかそんな余裕は出て来なかった。この長蔵観は当時の自分を他人と見做《みな》して、若い時の回想を紙の上に写すただ今、始めて序《じょ》の節《せつ》に浮かんだのである。だからやッぱり紙の上だけで消えてなくなるんだろう。しかしその時その砌《みぎ》りの長蔵観と比較して見るとだいぶ違ってるようだ。――
自分は長蔵さんと赤毛布《あかげっと》の立談《たちばなし》を聞きながら、自分は長蔵さんから毫《ごう》も人格を認められていなかったと云う事を見出した。――もっとも人格はこの際少しおかしい。いやしくも東京を出奔《しゅっぽん》して坑夫にまでなり下がるものが人格を云々《うんぬん》するのは変挺《へんてこ》な矛盾である。それは自分も承知している。現に今筆を執《と》って人格と書き出したら、何となく馬鹿気《ばかげ》ていて、思わず噴《ふ》き出しそうになったくらいである。自分の過去を顧《かえり》みて噴き出しそうになる今の身分を、昔と比《くら》べて見ると実に結構の至りであるが、その時はなかなか噴き出すどころの騒ぎではなかった。――長蔵さんは明かに自分の人格を認めていなかった。
と云うのは、彼れはこの酒、めし、御肴《おんさかな》の裏《うち》から飛び出した若い男を捕《つら》まえて、第二世の自分であるごとく、全く同じ調子と、同じ態度と、同じ言語と、もっと立ち入って云えば、同じ熱心の程度をもって、同じく坑夫になれと勧誘している。それを自分はなぜだか少々|怪《け》しからんように考えた。その意味を今から説明して見ると、ざっとこんな訳なんだろう。――
坑夫は長蔵さんの云うごとくすこぶる結構な家業《かぎょう》だとは、常識を質に入れた当時の自分にももっともと思いようがなかった。まず牛から馬、馬から坑夫という位の順だから、坑夫になるのは不名誉だと心得ていた。自慢にゃならないと覚《さと》っていた。だから坑夫の候補者が自分ばかりと思《おもい》のほか突然居酒屋の入口から赤毛布になって、あらわれようとも別段神経を悩ますほどの大事件じゃないくらいは分りきってる。しかしこの赤毛布の取扱方が全然自分と同様であると、同様であると云う点に不平があるよりも、自分は全然赤毛布と一般な人間であると云う気になっちまう
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