真面目《まじめ》を話してるつもりである。その証拠にはこの理想はただ今過去を回想して、面白半分興に乗じて、好い加減につけ加えたんじゃない。実際汽車が留って、不意に眼が覚めた時、この通りに出て来たのである。馬鹿気《ばかげ》た感じだから滑稽《こっけい》のように思われるけれどもその時は正直にこんな馬鹿気た感じが起ったんだから仕方がない。この感じが滑稽に近ければ近いほど、自分は当時の自分を可愛想《かわいそう》に思うのである。こんな常識をはずれた希望を、真面目《まじめ》に抱《いだ》かねばならぬほど、その時の自分は情《なさけ》ない境遇におったんだと云う事が判然するからである。
 自分がふと眼を開けると、汽車はもう留っていた。汽車が留まったなと云う考えよりも、自分は汽車に乗っていたんだなと云う考えが第一に起った。起ったと思うが早いか、長蔵さんがいるんだ、坑夫になるんだ、汽車賃がなかったんだ、生家《うち》を出奔《しゅっぽん》したんだ、どうしたんだ、こうしたんだとまるで十二三のたんだ[#「たんだ」に傍点]がむらむらと塊《かた》まって、頭の底から一度に湧《わ》いて来た。その速い事と云ったら、言語《ごんご》に絶すると云おうか、電光石火と評しようか、実に恐ろしいくらいだった。ある人が、溺《おぼ》れかかったその刹那《せつな》に、自分の過去の一生を、細大《さいだい》漏らさずありありと、眼の前に見た事があると云う話をその後《のち》聞いたが、自分のこの時の経験に因《よ》って考えると、これはけっして嘘じゃなかろうと思う。要するにそのくらい早く、自分は自分の実世界における立場と境遇とを自覚したのである。自覚すると同時に、急に厭《いや》な心持になった。ただ厭では、とても形容が出来ないんだが、さればと云って、別に叙述しようもない心持ちだからただの厭でとめて置く。自分と同じような心持ちを経験した人ならば、ただこれだけで、なるほどあれだなと、直《すぐ》勘《かん》づくだろう。また経験した事がないならば、それこそ幸福だ、けっして知るに及ばない。
 その内同じ車室に乗っていたものが二三人立ち上がる。外からも二三人|這入《はい》って来る。どこへ陣取ろうかと云う眼つきできょろきょろするのと、忘れものはないかと云う顔つきでうろうろするのと、それから何の用もないのに姿勢を更《か》えて窓へ首を出したり、欠伸《あくび》をしたりす
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