は、依然として眼先にありありと写っている。おういと日蔭《ひかげ》から呼びたくなるくらい明かに見える。と同時に足の向いてる先は漠々《ばくばく》たるものだ。この漠々のうちへ――命のあらん限り広がっているこの漠々のうちへ――自分はふらふら迷い込むのだから心細い。
この曇った世界が曇ったなりはびこって、定業《じょうごう》の尽きるまで行く手を塞《ふさ》いでいてはたまらない。留まった片足を不安の念に駆《か》られて一歩前へ出すと、一歩不安の中へ踏み込んだ訳《わけ》になる。不安に追い懸けられ、不安に引っ張られて、やむを得ず動いては、いくら歩いてもいくら歩いても埓《らち》が明くはずがない。生涯《しょうがい》片づかない不安の中を歩いて行くんだ。とてもの事に曇ったものが、いっそだんだん暗くなってくれればいい。暗くなった所をまた暗い方へと踏み出して行ったら、遠からず世界が闇《やみ》になって、自分の眼で自分の身体が見えなくなるだろう。そうなれば気楽なものだ。
意地の悪い事に自分の行く路は明るくもなってくれず、と云って暗くもなってくれない。どこまでも半陰半晴の姿で、どこまでも片づかぬ不安が立て罩《こ》めている。これでは生甲斐《いきがい》がない、さればと云って死に切れない。何でも人のいない所へ行って、たった一人で住んでいたい。それが出来なければいっその事……
不思議な事にいっその事と観念して見たが別にどきんともしなかった。今まで東京にいた時分いっその事と無分別を起しかけた事もたびたびあるが、そのたびたびにどきんとしない事はなかった。後《あと》からぞっ[#「ぞっ」に傍点]として、まあ善かったと思わない事もなかった。ところが今度は天からどきん[#「どきん」に傍点]ともぞっ[#「ぞっ」に傍点]ともしない。どきん[#「どきん」に傍点]とでもぞっ[#「ぞっ」に傍点]とでも勝手にするが善《い》いと云うくらいに、不安の念が胸一杯に広がっていたんだろう。その上いっその事を断行するのが今が今ではないと云う安心がどこかにあるらしい。明日《あした》になるか明後日《あさって》になるか、ことに由《よ》ったら一週間も掛るか、まかり間違えば無期限に延ばしても差支《さしつかえ》ないと高《たか》を括《くく》っていたせいかも知れない。華厳《けごん》の瀑《たき》にしても浅間《あさま》の噴火口《ふんかこう》にしても道程《みちのり
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