中を開けられたら銅貨が出るばかりだ。開けて見て、何だこれっぱかりしか持っていないのかと長蔵さんが驚くに違ない。どうも気の毒である。いくら足し前をするんだろうなどと入らざる事を苦《く》に病《や》んでいると、やがて長蔵さんは平生《へいぜい》の顔つきで帰って来た。
「さあ、これが御前さんの分だ」
と云いながら赤い切符を一枚くれたぎりいくら不足だとも何とも云わない。きまりが悪かったから、自分もただ
「ありがとう」
と受取ったぎり賃銭の事は口へ出さなかった。蟇口の事もそれなりにして置いた。長蔵さんの方でも蟇口の事はそれっきり云わなかった。したがって蟇口はついに長蔵さんにやった事になる。
それから、とうとう二人して汽車へ乗った。汽車の中では別にこれと云う出来事もなかった。ただ自分の隣りに腫物《できもの》だらけの、腐爛目《ただれめ》の、痘痕《あばた》のある男が乗ったので、急に心持が悪くなって向う側へ席を移した。どうも当時の状態を今からよく考えて見るとよっぽどおかしい。生家《うち》を逃亡《かけお》ちて、坑夫にまで、なり下《さが》る決心なんだから、大抵の事に辟易《へきえき》しそうもないもんだがやっぱり醜《きた》ないものの傍《そば》へは寄りつきたくなかった。あの按排《あんばい》では自殺の一日前でも、腐爛目の隣を逃げ出したに違ない。それなら万事こう几帳面《きちょうめん》に段落をつけるかと思うと、そうでないから困る。第一長蔵さんや茶店のかみさんに逢《あ》った時なんぞは平生の自分にも似ず、※[#「口+禺」、第3水準1−15−9]《ぐう》の音《ね》も出さずに心《しん》からおとなしくしていた。議論も主張も気慨《きがい》も何もあったもんじゃありゃしない。もっともこれはだいぶ餓《ひも》じい時であったから、少しは差引いて勘定を立《たて》るのが至当だが、けっして空腹のためばかりとは思えない。どうも矛盾――また矛盾が出たから廃《よ》そう。
自分は自分の生活中もっとも色彩の多い当時の冒険を暇さえあれば考え出して見る癖がある。考え出すたびに、昔の自分の事だから遠慮なく厳密なる解剖の刀を揮《ふる》って、縦横《たてよこ》十文字に自分の心緒《しんしょ》を切りさいなんで見るが、その結果はいつも千遍一律で、要するに分らないとなる。昔《むか》しだから忘れちまったんだなどと云ってはいけない。このくらい切実な経験は自分の
前へ
次へ
全167ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング