か書いて抛《ほう》り出すように自分に渡した。見ると気管支炎とある。
 気管支炎と云えば肺病の下地《したじ》である。肺病になれば助かりようがない。なるほどさっき薬の臭《におい》を嗅《か》いで死ぬんだなと虫が知らせたのも無理はない。今度はいよいよ死ぬ事になりそうだ。これから先二三週間もしたら、金《きん》さんのようによっしょいよっしょいでジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]を見せられて、そのあげくには自分がとうとうジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]になって、それから思う存分|囃《はや》し立てられて、敲《たた》き立てられて、――もっとも新参だから囃してくれるものも、敲いてくれるものも、ないかも知れないが――とどの詰りは、――どうなる事か自分にも分らない。それは分らなくってもよろしい。生きて動いている今ですら分らない。ただ世界がのべつ、のっぺらぽうに続いているうちに、あざやかな色が幾通りも並んでるばかりである。坑夫は世の中で、もっとも穢《きた》ないものと感じていたが、かように万物を色の変化と見ると、穢ないも穢なくないもある段じゃない。どうでも構わないから、どうとも勝手にするがいい、自分が懐手《ふところで》をしていたら運命が何とか始末をつけてくれるだろう。死んでもいい、生きてもいい。華厳《けごん》の瀑《たき》などへ行くのは面倒になった。東京へ帰る? 何の必要があって帰る。どうせ二三度|咳《せき》をせくうちの命だ。ここまで運命が吹きつけてくれたもんだから、運命に吹き払われるまでは、ここにいるのが、一番骨が折れなくって、一番便利で、一番順当な訳だ。ここにいて、ただ堕落の修業さえすれば、死ぬまでは持てるだろう。肺病患者にほかの修業はむずかしいかも知れないが、堕落の修業なら――ふと往きに眼についた蒲公英《たんぽぽ》に出逢《であ》った。さっきはもったいないほど美しい色だと思ったが、今見ると何ともない。なぜこれが美しかったんだろうと、しばらく立ち留まって、見ていたが、やっぱり美しくない。それからまたあるき出した。だらだら坂を登ると、自然と顔が仰向《あおむき》になる。すると例の通り長屋から、坑夫が頬杖《ほおづえ》を突いて、自分を見下《みおろ》している。さっきまではあれほど厭《いや》に見えた顔がまるで土細工《つちざいく》の人形の首のように思われる。醜《みにく》くも、怖《こわ》くも、憎らしくも
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