》ぐらいはあるだろう。箕に入れたばら[#「ばら」に傍点]の鉱《あらがね》を、掘子《ほりこ》が抛げ込んだばかりである。突き当りの壁は突立《つッた》っている。微《かすか》なカンテラ[#「カンテラ」に傍点]に照らされて、色さえしっかり分らない上が、一面に濡《ぬ》れて、濡れた所だけがきらきら光っている。
「覗《のぞ》いて見ろ」
初さんが云った。穴の手前が三尺ばかり板で張り詰めてある。自分は板の三分の一ほどまで踏み出した。
「もっと、出ろ」
と初さんが後から催促する。自分は躊躇《ちゅうちょ》した。これでさえ踏板が外《はず》れれば、どこまで落ちて行くか分らない。ましてもう一尺前へ出れば、いざと云う時、土の上へ飛《と》び退《の》く手間《てま》が一尺だけ遅くなる。一尺は何でもないようだが、ここでは平地《ひらち》の十間にも当る。自分は何分《なにぶん》にも躊躇《ちゅうちょ》した。
「出ろやい。吝《けち》な野郎だな。そんな事で掘子が勤まるかい」
と云われた。これは初さんの声ではなかった。黒い影の一人が云ったんだろう。自分は振り返って見なかった。しかし依然として足は前へ出なかった。ただ眼だけが、露で光った薄暗い向うの壁を伝わって、下の方へ、しだいに落ちて行くと、約一間ばかりは、どうにか見えるが、それから先は真暗だ。真暗だからどこまで視線に這入《はい》るんだか分らない。ただ深いと思えば際限もなく深い。落ちちゃ大変だと神経を起すと、後から背中を突かれるような気がする。足は依然としてもとの位地を持ち応《こた》えていた。すると、
「おい邪魔だ。ちょっと退《ど》きな」
と声を掛けられたんで、振り向くと、一人の掘子が重そうに俵を抱えて立っている。俵の大きさは米俵の半分ぐらいしかない。しかし両手で底を受けて、幾分か腰で支《ささ》えながら、うんと気合を入れているところは、全く重そうだ。自分はこの体《てい》を見て、すぐ傍《わき》へ避《よ》けた。そうして比較的安全な、板が折れても差支《さしつかえ》なく地面へ飛び退けるほどの距離まで退《しりぞ》いた。掘子は、俵で眼先がつかえてるから定めし剣呑《けんのん》がるだろうと思いのほか、容赦なく重い足を運ばして前へ出る。縁《ふち》から二尺ばかり手前まで出て、足を揃《そろ》えたから、もう留まるだろうと見ていると、また出した。余る所は一尺しきゃあない。その一尺へまた五寸ほど
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