シキ」に傍点]へ這入《はい》ったが、ただシキ[#「シキ」に傍点]の様子を見るのが第一の目的であったためか、廻り道をして作事場へは寄らなかったと見えて、坑夫の仕事をしているところは、この段々の下へ来て、初めて見た。――稲妻形《いなずまがた》に段々を下りるときは、むやみに下りるばかりで、いくら下りても尽きないのみか、人っ子一人に逢《あ》わないものだから、はなはだ心細かったが、はじめて作事場へ出て、人間に逢ったら、大いに嬉しかった。
 見ると丸太《まるた》の上に腰をかけている。数は三人だった。丸太は四《よ》つや丸太《まるた》で、軌道《レール》の枕木くらいなものだから、随分の重さである。どうして、ここまで運んで来たかとうてい想像がつかない。これは天井の陥落を防ぐため、少し広い所になると突っかい棒に張るために、シチュウ[#「シチュウ」に傍点]が必要な作事場へ置いて行くんだそうだ。その上に二人《ふたあり》腰を掛けて、残る一人が屈《しゃが》んで丸太へ向いている。そうして三人の間には小さな木の壺《つぼ》がある。伏せてある。一人がこの壺を上から抑《おさ》えている。三人が妙な叫び声を出した。抑えた壺をたちまち挙《あ》げた。下から賽《さい》が出た。――ところへ自分と初さんが這入った。
 三人はひとしく眼を上げて、自分と初さんを見た。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]が土の壁に突き刺してある。暗い灯《ひ》が、ぎろりと光る三人の眼球《めだま》を照らした。光ったものは実際眼球だけである。坑は固《もと》より暗い。明かるくなくっちゃならない灯も暗い。どす黒く燃えて煙《けぶり》を吹いている所は、濁った液体が動いてるように見えた。濁った先が黒くなって、煙と変化するや否や、この煙が暗いものの中に吸い込まれてしまう。だから坑の中がぼうとしている。そうして動いている。
 カンテラ[#「カンテラ」に傍点]は三人の頭の上に刺さっていた。だから三人のうちで比較的|判然《はっきり》見えたのは、頭だけである。ところが三人共頭が黒いので、つまりは、見えないのと同じ事である。しかも三つとも集《かたま》っていたから、なおさら変であったが、自分が這入《はい》るや否や、三つの頭はたちまち離れた。その間から、壺《つぼ》が見えたんである。壺の下から賽《さい》が見えたんである。壺と、賽と、三人の異《い》な叫び声を聞いた自分は、次に三人
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