けない気でずんずん行く。
「シキ[#「シキ」に傍点]の中でおとなしくしねえと、すのこ[#「すのこ」に傍点]の中へ抛《ほう》り込まれるから、用心しなくっちゃあいけねえ」
と云いながら初さんは突然暗い中で立ち留《どま》った。初さんの腰には鑿《のみ》がある。五斤の槌《つち》がある。自分は暗い中で小さくなって、
「はい」
と返事をした。
「よしか、分ったか。生きて出る料簡《りょうけん》なら生意気にシキ[#「シキ」に傍点]なんかへ這入らねえ方が増しだ」
これは向うむきになって、初さんが歩き出した時に、半分は独《ひと》り言《ごと》のように話した言葉である。自分は少からず驚いた。坑《あな》の中は反響が強いので、初さんの言葉がわんわんわんと自分の耳へ跳《は》ねっ返って来る。はたして初さんの言う通りなら、飛んだ所へ這入ったもんだ。実は死ぬのも同然な職業であればこそ坑夫になろうと云う気も起して見たんだが、本当に死ぬなら――こんな怖《こわ》い商売なら――殺されるんなら――すのこ[#「すのこ」に傍点]の中へ抛《な》げ込まれるなら――すのこ[#「すのこ」に傍点]とは全体どんなもんだろうと思い出した。
「すのこ[#「すのこ」に傍点]とはどんなもんですか」
「なに?」
と初さんが後《うしろ》を振り向いた。
「すのこ[#「すのこ」に傍点]とはどんなもんですか」
「穴だ」
「え?」
「穴だよ。――鉱《あらがね》を抛《ほう》り込んで、纏《まと》めて下へ降《さ》げる穴だ。鉱といっしょに抛り込まれて見ねえ……」
で言葉を切ってまたずんずん行く。
自分はちょっと立ち留った。振り返ると、入口が小さい月のように見える。這入《はい》るときは、これがシキ[#「シキ」に傍点]ならと思った。聞いたほどでもないと思った。ところが初さんに威嚇《おど》かされてから、いかな平凡な隧道《トンネル》も、大いに容子《ようす》が変って来た。懲役笠《ちょうえきがさ》をたたく冷たい雨が恋しくなった。そこで振り返ると、入口が小さい月のように見える。小さい月のように見えるほど奥へ這入ったなと、振り返って始めて気がついた。いくら曇っていてもやっぱり外が懐《なつ》かしい。真黒な天井《てんじょう》が上から抑《おさ》えつけてるのは心持のわるいものだ。しかもこの天井がだんだん低くなって来るように感ぜられる。と思うと、軌道《レール》を横へ切れて、右へ
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