気よく、
「なります」
と答えてしまった。原さんにはこの答が断然たる決心のように受けとれたか、それとも、瘠我慢《やせがまん》のつけ景気《げいき》のごとく響いたか、その辺《へん》は確《しか》と分らないが、何しろこの一言《いちごん》を聞いた原さんは、機嫌よく、
「じゃまあ、御上《おあ》がんなさい。そうして、あした人をつけて上げるから、まあシキ[#「シキ」に傍点]へ這入って御覧なさるがいい。何しろ一万人もいて、こんなに組々に分れているんだから、飯場《はんば》を一つでも預かってると、毎日毎日何だかだって、うるさい事ばかりでね。せっかく頼むから置いてやる、すぐ逃げる。――一日《いちんち》に二三人はきっと逃げますよ。そうかと云って、おとなしくしているかと思うと、病気になって、死んじまう奴が出て来て――どうも始末に行かねえもんでさあ。葬《ともら》いばかりでも日に五六組無い事あ、滅多《めった》にないからね。まあやる気なら本気にやって御覧なさい。腰を掛けてちゃ、足が草臥《くたび》れるだろう。こっちへ御上り」
この逐一《ちくいち》を聞いていた自分はたとい、掘子《ほりこ》だろうが、山市《やまいち》だろうが一生懸命に働かなくっちゃあ、原さんに対して済まない仕儀になって来た。そこで心のうちに、原さんの迷惑になるような不都合はけっしてしまいときめた。何しろ年が十九だから正直なものだった。
そこで原さんの云う通り、足を拭いて尻をおろしているうちに、奥の方から婆さんが出て来て、――この婆さんの出ようがはなはだ突然で、ちょっと驚いたが、
「こっちへ御出《おいで》なさい」
と云うから、好加減《いいかげん》に御辞儀をして、後《あと》から尾《つ》いて行った。小作《こづくり》な婆さんで、後姿の華奢《きゃしゃ》な割合には、ぴんぴん跳《は》ねるように活溌《かっぱつ》な歩き方をする。幅の狭い茶色の帯をちょっきり結《むすび》にむすんで、なけなしの髪を頸窩《ぼんのくぼ》へ片づけてその心棒《しんぼう》に鉛色の簪《かんざし》を刺している。そうして襷掛《たすきがけ》であった。何でも台所か――台所がなければ、――奥の方で、用事の真っ最中に、案内のため呼び出されたから、こう急がしそうに尻を振るんだろう。それとも山育《やまそだち》だからかしら。いや、飯場《はんば》だから優長《ゆうちょう》にしちゃいられないせいだろう。して見る
前へ
次へ
全167ページ中82ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング