「失礼ながら旅費のことなら、心配しなくっても好ござんす。どうかして上げますから」
旅費は無論ない。一厘たりとも金気《かなけ》は肌に着いていない。のたれ死《じに》を覚悟の前でも、金は持ってる方が心丈夫だ。まして慢性の自滅で満足する今の自分には、たとい白銅一箇の草鞋銭《わらじせん》でも大切である。帰ると事がきまりさえすれば、頭を地に摺《す》りつけても、原さんから旅費を恵んで貰ったろう。実際こうなると廉恥《れんち》も品格もあったもんじゃない。どんな不体裁《ふていさい》な貰い方でもする。――大抵の人がそうなるだろう。またそうなってしかるべきである。――しかしけっして褒《ほ》められた始末じゃない。自分がこんな事を露骨にかくのは、ただ人間の正体を、事実なりに書くんで、書いて得意がるのとは訳が違う。人間の生地《きじ》はこれだから、これで差支《さしつかえ》ないなどと主張するのは、練羊羹《ねりようかん》の生地は小豆《あずき》だから、羊羹の代りに生《なま》小豆を噛《か》んでれば差支ないと結論するのと同じ事だ。自分はこの時の有様を思い出すたびに、なんで、あんな、さもしい料簡《りょうけん》になったものかと、吾《われ》ながら愛想《あいそ》が尽きる。こう云う下卑《げび》た料簡を起さずに、一生を暮す事のできる人は、経験の足りない人かも知れないが、幸な人である。また自分らよりも遥《はるか》に高尚な人である。生小豆のまずさ加減を知らないで、生涯《しょうがい》練羊羹ばかり味わってる結構な人である。
自分は、も少しの事で、手を合せて、見ず知らずの飯場頭《はんばがしら》からわずかの合力《ごうりき》を仰ぐところであった。それをやっとの事で喰い止めたのは、せっかくの好意で調《ととの》えてくれる金も、二三日《にさんち》木賃宿《きちんやど》で夜露を凌《しの》げば、すぐ無くなって、無くなった暁には、また当途《あてど》もなく流れ出さなければならないと、冥々《めいめい》のうちに自覚したからである。自分は屑《いさぎ》よく涙金《なみだきん》を断った。断った表向は律義《りちぎ》にも見える。自分もそう考えるが、よくよく詮索《せんさく》すると、慾の天秤《てんびん》に懸《か》けた、利害の判断から出ている事はたしかである。その証拠には補助を断《ことわ》ると同時に、自分は、こんな事を言い出した。
「その代り坑夫に使って下さい。せ
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