にしていると、長蔵さんは自分達を路傍《みちばた》に置きっ放しにして、一人で家《うち》の中へ這入って行った。仕方がないから家と云うが、実のところは、家じゃもったいない。牛さえいれば牛小屋で馬さえ嘶《な》けば馬小屋だ。何でも草鞋《わらじ》を売る所らしい。壁と草鞋とランプのほかに何にもないから、自分はそう鑑定した。間口《まぐち》は一間ばかりで、入口の雨戸が半分ほど閉《た》ててある。残る半分は夜っぴて明けて置くんじゃないかしら。ことによると、敷居の溝《みぞ》に食い込んだなり動かないのかも知れない。屋根は無論|藁葺《わらぶき》で、その藁が古くなって、雨に腐《ふ》やけたせいか、崩《くず》れかかって漠然《ばくぜん》としている。夜と屋根の継目《つぎめ》が分らないほど、ぶくついて見える。その中へ長蔵さんは這入って行った。なんだか穴の中へでも潜《もぐ》り込んで行ったような心持だった。そうして話している。三人は表に待っている。自分の顔は見えないが、赤毛布と小僧の顔は、小屋の中から斜《はす》に差してくるランプの灯でよく見える。赤毛布は依然として、散漫《さんまん》なものである。この男はたとい地震がゆって、梁《はり》が落ちて来ても、親の死目に逢《あ》うか、逢わないかと云う大事な場合でも、いつでも、こんな顔をしているに違ない。小僧は空を見ている。まだ物騒だ。
 ところへ長蔵さんがあらわれた。しかし往来へは出て来ない。敷居の上へ足を乗せて、こっちを向いて立った股倉《またぐら》から、ランプの灯だけが細長く出て来る。ランプの位置がいつの間《ま》にか低くなったと見える。長蔵さんの顔は無論よく分らない。
「御前さん、これから山越をするのは大変だから、今夜はここへ泊《とま》って行こう。みんな這入るがいい」
 自分はこの言葉を聞くと等しく、今までの神妙《しんびょう》が急に破裂して、身体《からだ》がぐたりとなった。この牛小屋で一夜を明《あか》す事が、それほどの慰藉《いしゃ》を自分に与えようとは、牛小屋を見た今が今まで、とんと気がつかなかった。やはり神妙の結果泊る所が見つかっても、泊る気が起らなかったんだろう。こうなると人間ほど御《ぎょ》しやすいものはない。無理でも何でもはいはい畏《かしこ》まって聞いて、そうして少しも不平を起さないのみか大《おおい》に嬉《うれ》しがる。当時を思い出すたびに、自分はもっとも順良なま
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