]をやるものだとなお耳を立ててあとを聞く。
「あんな声を出して何の呪《まじな》いになるか知らん。御維新前《ごいっしんまえ》は中間《ちゅうげん》でも草履《ぞうり》取りでも相応の作法は心得たもので、屋敷町などで、あんな顔の洗い方をするものは一人もおらなかったよ」「そうでございましょうともねえ」
 下女は無暗《むやみ》に感服しては、無暗にねえ[#「ねえ」に傍点]を使用する。
「あんな主人を持っている猫だから、どうせ野良猫《のらねこ》さ、今度来たら少し叩《たた》いておやり」「叩いてやりますとも、三毛の病気になったのも全くあいつの御蔭に相違ございませんもの、きっと讐《かたき》をとってやります」
 飛んだ冤罪《えんざい》を蒙《こうむ》ったものだ。こいつは滅多《めった》に近《ち》か寄《よ》れないと三毛子にはとうとう逢わずに帰った。
 帰って見ると主人は書斎の中《うち》で何か沈吟《ちんぎん》の体《てい》で筆を執《と》っている。二絃琴《にげんきん》の御師匠さんの所《とこ》で聞いた評判を話したら、さぞ怒《おこ》るだろうが、知らぬが仏とやらで、うんうん云いながら神聖な詩人になりすましている。
 ところへ当分多忙で行かれないと云って、わざわざ年始状をよこした迷亭君が飄然《ひょうぜん》とやって来る。「何か新体詩でも作っているのかね。面白いのが出来たら見せたまえ」と云う。「うん、ちょっとうまい文章だと思ったから今翻訳して見ようと思ってね」と主人は重たそうに口を開く。「文章? 誰《だ》れの文章だい」「誰れのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも随分善いのがあるからなかなか馬鹿に出来ない。全体どこにあったのか」と問う。「第二読本」と主人は落ちつきはらって答える。「第二読本? 第二読本がどうしたんだ」「僕の翻訳している名文と云うのは第二読本の中《うち》にあると云う事さ」「冗談《じょうだん》じゃない。孔雀の舌の讐《かたき》を際《きわ》どいところで討とうと云う寸法なんだろう」「僕は君のような法螺吹《ほらふ》きとは違うさ」と口髯《くちひげ》を捻《ひね》る。泰然たるものだ。「昔《むか》しある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといったら、山陽が馬子《まご》の書いた借金の催促状を示して近来の名文はまずこれでしょうと云ったという話があるから、君の審美眼も存外たしかかも知れん。どれ読んで見給え、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家《ほんけ》のような事を云う。主人は禅坊主が大燈国師《だいとうこくし》の遺誡《ゆいかい》を読むような声を出して読み始める。「巨人《きょじん》、引力《いんりょく》」「何だいその巨人引力と云うのは」「巨人引力と云う題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云う名を持っている巨人というつもりさ」「少し無理なつもり[#「つもり」に傍点]だが表題だからまず負けておくとしよう。それから早々《そうそう》本文を読むさ、君は声が善いからなかなか面白い」「雑《ま》ぜかえしてはいかんよ」と予《あらか》じめ念を押してまた読み始める。
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ケートは窓から外面《そと》を眺《なが》める。小児《しょうに》が球《たま》を投げて遊んでいる。彼等は高く球を空中に擲《なげう》つ。球は上へ上へとのぼる。しばらくすると落ちて来る。彼等はまた球を高く擲つ。再び三度。擲つたびに球は落ちてくる。なぜ落ちるのか、なぜ上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答える。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万物を己《おの》れの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」
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「それぎりかい」「むむ、甘《うま》いじゃないか」「いやこれは恐れ入った。飛んだところでトチメンボー[#「トチメンボー」に傍点]の御返礼に預《あずか》った」「御返礼でもなんでもないさ、実際うまいから訳して見たのさ、君はそう思わんかね」と金縁の眼鏡の奥を見る。「どうも驚ろいたね。君にしてこの伎倆《ぎりょう》あらんとは、全く此度《こんど》という今度《こんど》は担《かつ》がれたよ、降参降参」と一人で承知して一人で喋舌《しゃべ》る。主人には一向《いっこう》通じない。「何も君を降参させる考えはないさ。ただ面白い文章だと思ったから訳して見たばかりさ」「いや実に面白い。そう来なくっちゃ本ものでない。凄《すご》いものだ。恐縮だ」「そんなに恐縮するには及ばん。僕も近頃は水彩画をやめたから、その代りに文章でもやろうと思ってね」「どうして遠近《えんきん》無差別《むさべつ》黒白《こくびゃく》平等《びょうどう》の水彩画の比じゃない。感服の至りだよ」「そうほめてくれると僕も乗り気になる」と主人はあくまでも疳違《かんちが》いをしている。
 ところへ寒月《かんげつ》君が先日は失礼しましたと這入《はい》って来る。「いや失敬。今大変な名文を拝聴してトチメンボー[#「トチメンボー」に傍点]の亡魂を退治《たいじ》られたところで」と迷亭先生は訳のわからぬ事をほのめかす。「はあ、そうですか」とこれも訳の分らぬ挨拶をする。主人だけは左《さ》のみ浮かれた気色《けしき》もない。「先日は君の紹介で越智東風《おちとうふう》と云う人が来たよ」「ああ上《あが》りましたか、あの越智東風《おちこち》と云う男は至って正直な男ですが少し変っているところがあるので、あるいは御迷惑かと思いましたが、是非紹介してくれというものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへ上《あが》っても自分の姓名のことについて何か弁じて行きゃしませんか」「いいえ、そんな話もなかったようだ」「そうですか、どこへ行っても初対面の人には自分の名前の講釈《こうしゃく》をするのが癖でしてね」「どんな講釈をするんだい」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口を入れる。「あの東風《こち》と云うのを音《おん》で読まれると大変気にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮《きんからかわ》の煙草入《たばこいれ》から煙草をつまみ出す。「私《わたく》しの名は越智東風《おちとうふう》ではありません、越智《おち》こち[#「こち」に傍点]ですと必ず断りますよ」「妙だね」と雲井《くもい》を腹の底まで呑《の》み込む。「それが全く文学熱から来たので、こちと読むと遠近[#「遠近」に傍点]と云う成語《せいご》になる、のみならずその姓名が韻《いん》を踏んでいると云うのが得意なんです。それだから東風《こち》を音《おん》で読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を云うのです」「こりゃなるほど変ってる」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻の孔《あな》まで吐き返す。途中で煙が戸迷《とまど》いをして咽喉《のど》の出口へ引きかかる。先生は煙管《きせる》を握ってごほんごほんと咽《むせ》び返る。「先日来た時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっていたよ」と主人は笑いながら云う。「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管《きせる》で膝頭《ひざがしら》を叩《たた》く。吾輩は険呑《けんのん》になったから少し傍《そば》を離れる。「その朗読会さ。せんだってトチメンボー[#「トチメンボー」に傍点]を御馳走した時にね。その話しが出たよ。何でも第二回には知名のカ士を招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者を撰《えら》んで金色夜叉《こんじきやしゃ》にしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮《おみや》ですといったのさ。東風《とうふう》の御宮は面白かろう。僕は是非出席して喝采《かっさい》しようと思ってるよ」「面白いでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なところがないから好い。迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア・デル・サルトと孔雀《くじゃく》の舌とトチメンボー[#「トチメンボー」に傍点]の復讐《かたき》を一度にとる。迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳《ぎょうとく》の俎《まないた》と云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人は解《かい》さないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化《ごまか》しつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率《しんそつ》に聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来て挿《さ》したのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管《きせる》を大神楽《だいかぐら》のごとく指の尖《さき》で廻わす。「どんな経験か、聞かし玉《たま》え」と主人は行徳の俎を遠く後《うしろ》に見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験というのを聞くと左《さ》のごとくである。
「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。例の東風《とうふう》から参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云う先《さ》き触《ぶ》れがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンの滑稽物《こっけいもの》を読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブを焚《た》いて室《へや》を煖《あたた》かにしてやらないと風邪《かぜ》を引くとかいろいろの注意があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、呑気《のんき》な僕もその時だけは大《おおい》に感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていては勿体《もったい》ない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になった。それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜《ロシア》と戦争が始まって若い人達は大変な辛苦《しんく》をして御国《みくに》のために働らいているのに節季師走《せっきしわす》でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへ以《もっ》て来て、僕の小学校時代の朋友《ほうゆう》で今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気《あじき》なくなって人間もつまらないと云う気が起ったよ。一番|仕舞《しまい》にね。私《わた》しも取る年に候えば初春《はつはる》の御雑煮《おぞうに》を祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風《とうふう》が来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。そのうちとうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな芸は出来んから、いつでも十行内外で御免|蒙《こうむ》る事に極《き》めてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせておけと云う気になって、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思い給え。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手《どて》三番町《さんばんちょう》の方へ我れ知らず出てしワった。ちょうどその晩は少し曇って、から風が御濠《おほり》の向《むこ》うから吹き付ける、非常に寒い。神楽坂《かぐらざか》の方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。大変|淋《さみ》しい感じがする。暮、戦死、老衰、無常迅速などと云う奴が頭の中をぐるぐる馳《か》け廻《めぐ》る。よく人が首を縊《くく》ると云うがこんな時にふ
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