ゥ少しくわかり兼ねるが、かのダムダム弾が竹垣を突き通して、障子《しょうじ》を裂き破って主人の頭を破壊しなかったところをもって見ると、ニュートンの御蔭《おかげ》に相違ない。しばらくすると案のごとく敵は邸内に乗り込んで来たものと覚しく、「ここか」「もっと左の方か」などと棒でもって笹《ささ》の葉を敲き廻わる音がする。すべて敵が主人の邸内へ乗り込んでダムダム弾を拾う場合には必ず特別な大きな声を出す。こっそり這入って、こっそり拾っては肝心《かんじん》の目的が達せられん。ダムダム弾は貴重かも知れないが、主人にからかうのはダムダム弾以上に大事である。この時のごときは遠くから弾の所在地は判然している。竹垣に中《あた》った音も知っている。中った場所も分っている、しかしてその落ちた地面も心得ている。だからおとなしくして拾えば、いくらでもおとなしく拾える。ライプニッツの定義によると空間は出来得べき同在現象の秩序である。いろはにほへと[#「いろはにほへと」に傍点]はいつでも同じ順にあらわれてくる。柳の下には必ず鰌《どじょう》がいる。蝙蝠《こうもり》に夕月はつきものである。垣根にボールは不似合かも知れぬ。しかし毎日毎日ボールを人の邸内に抛《ほう》り込む者の眼に映ずる空間はたしかにこの排列に慣《な》れている。一眼《ひとめ》見ればすぐ分る訳だ。それをかくのごとく騒ぎ立てるのは必竟《ひっきょう》ずるに主人に戦争を挑《いど》む策略である。
こうなってはいかに消極的なる主人といえども応戦しなければならん。さっき座敷のうちから倫理の講義をきいてにやにやしていた主人は奮然として立ち上がった。猛然として馳《か》け出した。驀然《ばくぜん》として敵の一人を生捕《いけど》った。主人にしては大出来である。大出来には相違ないが、見ると十四五の小供である。髯《ひげ》の生《は》えている主人の敵として少し不似合だ。けれども主人はこれで沢山だと思ったのだろう。詫《わ》び入るのを無理に引っ張って椽側《えんがわ》の前まで連れて来た。ここにちょっと敵の策略について一言《いちげん》する必要がある、敵は主人が昨日《きのう》の権幕《けんまく》を見てこの様子では今日も必ず自身で出馬するに相違ないと察した。その時万一逃げ損じて大僧《おおぞう》がつらまっては事面倒になる。ここは一年生か二年生くらいな小供を玉拾いにやって危険を避けるに越した事はない。よし主人が小供をつらまえて愚図愚図《ぐずぐず》理窟《りくつ》を捏《こ》ね廻したって、落雲館の名誉には関係しない、こんなものを大人気《おとなげ》もなく相手にする主人の恥辱《ちじょく》になるばかりだ。敵の考はこうであった。これが普通の人間の考で至極《しごく》もっともなところである。ただ敵は相手が普通の人間でないと云う事を勘定のうちに入れるのを忘れたばかりである。主人にこれくらいの常識があれば昨日だって飛び出しはしない。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を与える者である。女だの、小供だの、車引きだの、馬子だのと、そんな見境《みさか》いのあるうちは、まだ逆上を以て人に誇るに足らん。主人のごとく相手にならぬ中学一年生を生捕《いけど》って戦争の人質とするほどの了見でなくては逆上家の仲間入りは出来ないのである。可哀《かわい》そうなのは捕虜である。単に上級生の命令によって玉拾いなる雑兵《ぞうひょう》の役を勤めたるところ、運わるく非常識の敵将、逆上の天才に追い詰められて、垣越える間《ま》もあらばこそ、庭前に引き据《す》えられた。こうなると敵軍は安閑と味方の恥辱を見ている訳に行かない。我も我もと四つ目垣を乗りこして木戸口から庭中に乱れ入る。その数は約一ダースばかり、ずらりと主人の前に並んだ。大抵は上衣《うわぎ》もちょっ着《き》もつけておらん。白シャツの腕をまくって、腕組をしたのがある。綿《めん》ネルの洗いざらしを申し訳ノ背中だけへ乗せているのがある。そうかと思うと白の帆木綿《ほもめん》に黒い縁《ふち》をとって胸の真中に花文字を、同じ色に縫いつけた洒落者《しゃれもの》もある。いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波《たんば》の国は笹山から昨夜着し立てでござると云わぬばかりに、黒く逞《たくま》しく筋肉が発達している。中学などへ入れて学問をさせるのは惜しいものだ。漁師《りょうし》か船頭にしたら定めし国家のためになるだろうと思われるくらいである。彼等は申し合せたごとく、素足に股引《ももひき》を高くまくって、近火の手伝にでも行きそうな風体《ふうてい》に見える。彼等は主人の前にならんだぎり黙然《もくねん》として一言《いちごん》も発しない。主人も口を開《ひら》かない。しばらくの間双方共|睨《にら》めくらをしているなかにちょっと殺気がある。
「貴様等はぬすっとう[#「ぬすっとう」に傍点]か」と主人は尋問した。大気※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《だいきえん》である。奥歯で囓《か》み潰《つぶ》した癇癪玉《かんしゃくだま》が炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしく怒《いか》って見える。越後獅子《えちごじし》の鼻は人間が怒《おこ》った時の恰好《かっこう》を形《かた》どって作ったものであろう。それでなくてはあんなに恐しく出来るものではない。
「いえ泥棒ではありません。落雲館の生徒です」
「うそをつけ。落雲館の生徒が無断で人の庭宅に侵入する奴があるか」
「しかしこの通りちゃんと学校の徽章《きしょう》のついている帽子を被《かぶ》っています」
「にせものだろう。落雲館の生徒ならなぜむやみに侵入した」
「ボールが飛び込んだものですから」
「なぜボールを飛び込ました」
「つい飛び込んだんです」
「怪《け》しからん奴だ」
「以後注意しますから、今度だけ許して下さい」
「どこの何者かわからん奴が垣を越えて邸内に闖入《ちんにゅう》するのを、そう容易《たやす》く許されると思うか」
「それでも落雲館の生徒に違ないんですから」
「落雲館の生徒なら何年生だ」
「三年生です」
「きっとそうか」
「ええ」
主人は奥の方を顧《かえり》みながら、おいこらこらと云う。
埼玉生れの御三《おさん》が襖《ふすま》をあけて、へえと顔を出す。
「落雲館へ行って誰か連れてこい」
「誰を連れて参ります」
「誰でもいいから連れてこい」
下女は「へえ」と答えが、あまり庭前の光景が妙なのと、使の趣《おもむき》が判然しないのと、さっきからの事件の発展が馬鹿馬鹿しいので、立ちもせず、坐りもせずにやにや笑っている。主人はこれでも大戦争をしているつもりである。逆上的敏腕を大《おおい》に振《ふる》っているつもりである。しかるところ自分の召し使たる当然こっちの肩を持つべきものが、真面目な態度をもって事に臨まんのみか、用を言いつけるのを聞きながらにやにや笑っている。ますます逆上せざるを得ない。
「誰でも構わんから呼んで来いと云うのに、わからんか。校長でも幹事でも教頭でも……」
「あの校長さんを……」下女は校長と云う言葉だけしか知らないのである。
「校長でも、幹事でも教頭でもと云っているのにわからんか」
「誰もおりませんでしたら小使でもよろしゅうございますか」
「馬鹿を云え。小使などに何が分かるものか」
ここに至って下女もやむを得んと心得たものか、「へえ」と云って出て行った。使の主意はやはり飲み込めんのである。小使でも引張って来はせんかと心配していると、あに計らんや例の倫理の先生が表門から乗り込んで来た。平然と座に就《つ》くを待ち受けた主人は直ちに談判にとりかかる。
「ただ今邸内にこの者共が乱入致して……」と忠臣蔵のような古風な言葉を使ったが「本当に御校《おんこう》の生徒でしょうか」と少々皮肉に語尾を切った。
倫理の先生は別段驚いた様子もなく、平気で庭前にならんでいる勇士を一通り見廻わした上、もとのごとく瞳《ひとみ》を主人の方にかえして、下《しも》のごとく答えた。
「さようみんな学校の生徒であります。こんな事のないように始終訓戒を加えておきますが……どうも困ったもので……なぜ君等は垣などを乗り越すのか」
さすがに生徒は生徒である、倫理の先生に向っては一言《いちごん》もないと見えて何とも云うものはない。おとなしく庭の隅にかたまって羊の群《むれ》が雪に逢ったように控《ひか》えている。
「丸《たま》が這入《はい》るのも仕方がないでしょう。こうして学校の隣りに住んでいる以上は、時々はボールも飛んで来ましょう。しかし……あまり乱暴ですからな。仮令《たとい》垣を乗り越えるにしても知れないないように、そっと拾って行くなら、まだ勘弁のしようもありますが……」
「ごもっともで、よく注意は致しますが何分|多人数《たにんず》の事で……よくこれから注意をせんといかんぜ。もしボールが飛んだら表から廻って、御断りをして取らなければいかん。いいか。――広い学校の事ですからどうも世話ばかりやけて仕方がないです。で運動は教育上必要なものでありますから、どうもこれを禁ずる訳には参りかねるので。これを許すとつい御迷惑になるような事が出来ますが、これは是非御容赦を願いたいと思います。その代り向後《こうご》はきっと表門から廻って御断りを致した上で取らせますから」
「いや、そう事が分かればよろしいです。球《たま》はいくら御投げになっても差支《さしつか》えはないです。表からきてちょっと断わって下されば構いません。ではこの生徒はあなたに御引き渡し申しますからお連れ帰りを願います。いやわざわざ御呼び立て申して恐縮です」と主人は例によって例のごとく竜頭蛇尾《りゅうとうだび》の挨拶をする。倫理の先生は丹波の笹山を連れて表門から落雲館へ引き上げる。吾輩のいわゆる大事件はこれで一とまず落着を告げた。何のそれが大事件かと笑うなら、笑うがいい。そんな人には大事件でないまでだ。吾輩は主人の[#「主人の」に傍点]大事件を写したので、そんな人の[#「そんな人の」に傍点]大事件を記《しる》したのではない。尻が切れて強弩《きょうど》の末勢《ばっせい》だなどと悪口するものがあるなら、これが主人の特色である事を記憶して貰いたい。主人が滑稽文の材料になるのもまたこの特色に存する事を記憶して貰いたい。十四五の小供を相手にするのは馬鹿だと云うなら吾輩も馬鹿に相違ないと同意する。だから大町桂月は主人をつらまえて未《いま》だ稚気《ちき》を免がれずと云うている。
吾輩はすでに小事件を叙し了《おわ》り、今また大事件を述べ了ったから、これより大事件の後《あと》に起る余瀾《よらん》を描《えが》き出だして、全篇の結びを付けるつもりである。すべて吾輩のかく事は、口から出任《でまか》せのいい加減と思う読者もあるかも知れないが決してそんな軽率な猫ではない。一字一句の裏《うち》に宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、その一字一句が層々《そうそう》連続すると首尾相応じ前後相照らして、瑣談繊話《さだんせんわ》と思ってうっかりと読んでいたものが忽然《こつぜん》豹変《ひょうへん》して容易ならざる法語となるんだから、決して寝ころんだり、足を出して五行ごとに一度に読むのだなどと云う無礼を演じてはいけない。柳宗元《りゅうそうげん》は韓退之《かんたいし》の文を読むごとに薔薇《しょうび》の水《みず》で手を清めたと云うくらいだから、吾輩の文に対してもせめて自腹《じばら》で雑誌を買って来て、友人の御余りを借りて間に合わすと云う不始末だけはない事に致したい。これから述べるのは、吾輩|自《みずか》ら余瀾と号するのだけれど、余瀾ならどうせつまらんに極《きま》っている、読まんでもよかろうなどと思うと飛んだ後悔をする。是非しまいまで精読しなくてはいかん。
大事件のあった翌日、吾輩はちょっと散歩がしたくなったから表へ出た。すると向う横町へ曲がろうと云う角で金田の旦那と鈴木の藤《とう》さんがしきりに立ちながら話をしている。金田君は車で自宅《うち》へ帰るところ、鈴木君は金田君の留守を訪問して引き返す途中で両
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