るまい。どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。何でも命のあるうちにしておく事だ。死んでからああ残念だと墓場の影から悔《く》やんでもおっつかない。思い切って飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちゃぴちゃやって見ると驚いた。何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。人間は何の酔興《すいきょう》でこんな腐ったものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れない。どうしても猫とビールは性《しょう》が合わない。これは大変だと一度は出した舌を引込《ひっこ》めて見たが、また考え直した。人間は口癖のように良薬口に苦《にが》しと言って風邪《かぜ》などをひくと、顔をしかめて変なものを飲む。飲むから癒《なお》るのか、癒るのに飲むのか、今まで疑問であったがちょうどいい幸《さいわい》だ。この問題をビールで解決してやろう。飲んで腹の中までにがくなったらそれまでの事、もし三平のように前後を忘れるほど愉快になれば空前の儲《もう》け者《もの》で、近所の猫へ教えてやってもいい。まあどうなるか、運を天に任せて、やっつけると決心して再び舌を出した。眼をあいていると飲みにくいから、しっかり眠って、またぴちゃぴちゃ始めた。
吾輩は我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起った。始めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従ってようやく楽《らく》になって、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなった。もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのも拭《ぬぐ》うがごとく腹内《ふくない》に収めた。
それからしばらくの間は自分で自分の動静を伺うため、じっとすくんでいた。次第にからだが暖かになる。眼のふちがぽうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。主人も迷亭も独仙も糞を食《くら》えと云う気になる。金田のじいさんを引掻《ひっか》いてやりたくなる。妻君の鼻を食い欠きたくなる。いろいろになる。最後にふらふらと立ちたくなる。起《た》ったらよたよたあるきたくなる。こいつは面白いとそとへ出たくなる。出ると御月様今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。
陶然とはこんな事を云うのだろうと思いながら、あてもなく、そこかしこと散歩するような、しないような心持でしまりのない足をいい加減に運ばせてゆくと、何だかしきりに眠い。寝ているのだか、あるいてるのだか判然しない。眼はあけるつもりだが重い事|夥《おびただ》しい。こうなればそれまでだ。海だろうが、山だろうが驚ろかないんだと、前足をぐにゃりと前へ出したと思う途端ぼちゃんと音がして、はっと云ううち、――やられた。どうやられたのか考える間《ま》がない。ただやられたなと気がつくか、つかないのにあとは滅茶苦茶になってしまった。
我に帰ったときは水の上に浮いている。苦しいから爪でもって矢鱈《やたら》に掻《か》いたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐってしまう。仕方がないから後足《あとあし》で飛び上っておいて、前足で掻いたら、がりりと音がしてわずかに手応《てごたえ》があった。ようやく頭だけ浮くからどこだろうと見廻わすと、吾輩は大きな甕《かめ》の中に落ちている。この甕《かめ》は夏まで水葵《みずあおい》と称する水草《みずくさ》が茂っていたがその後烏の勘公が来て葵を食い尽した上に行水《ぎょうずい》を使う。行水を使えば水が減る。減れば来なくなる。近来は大分《だいぶ》減って烏が見えないなと先刻《さっき》思ったが、吾輩自身が烏の代りにこんな所で行水を使おうなどとは思いも寄らなかった。
水から縁《ふち》までは四寸|余《よ》もある。足をのばしても届かない。飛び上っても出られない。呑気《のんき》にしていれば沈むばかりだ。もがけばがりがりと甕に爪があたるのみで、あたった時は、少し浮く気味だが、すべればたちまちぐっともぐる。もぐれば苦しいから、すぐがりがりをやる。そのうちからだが疲れてくる。気は焦《あせ》るが、足はさほど利《き》かなくなる。ついにはもぐるために甕を掻くのか、掻くためにもぐるのか、自分でも分りにくくなった。
その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責《かしゃく》に逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水の面《おもて》にからだが浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって五寸にあまる甕の縁に爪のかかりようがない。甕のふちに爪のかかりようがなければいくらも掻《が》いても、あせっても、百年の間身を粉《こ》にしても出られっこない。出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。自《みずか》ら求めて苦しんで、自ら好んで
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