と見える。情《なさけ》ない事だ。こんなごろつき手に比べると主人などは遥《はる》かに上等な人間と云わなくてはならん。意気地のないところが上等なのである。無能なところが上等なのである。猪口才《ちょこざい》でないところが上等なのである。
 かくのごとく働きのない食い方をもって、無事に朝食《あさめし》を済ましたる主人は、やがて洋服を着て、車へ乗って、日本堤分署へ出頭に及んだ。格子《こうし》をあけた時、車夫に日本堤という所を知ってるかと聞いたら、車夫はへへへと笑った。あの遊廓のある吉原の近辺の日本堤だぜと念を押したのは少々|滑稽《こっけい》であった。
 主人が珍らしく車で玄関から出掛けたあとで、妻君は例のごとく食事を済ませて「さあ学校へおいで。遅くなりますよ」と催促すると、小供は平気なもので「あら、でも今日は御休みよ」と支度《したく》をする景色《けしき》がない。「御休みなもんですか、早くなさい」と叱《しか》るように言って聞かせると「それでも昨日《きのう》、先生が御休だって、おっしゃってよ」と姉はなかなか動じない。妻君もここに至って多少変に思ったものか、戸棚から暦《こよみ》を出して繰り返して見ると、赤い字でちゃんと御祭日と出ている。主人は祭日とも知らずに学校へ欠勤届を出したのだろう。細君も知らずに郵便箱へ抛《ほう》り込んだのだろう。ただし迷亭に至っては実際知らなかったのか、知って知らん顔をしたのか、そこは少々疑問である。この発明におやと驚ろいた妻君はそれじゃ、みんなでおとなしく御遊びなさいと平生《いつも》の通り針箱を出して仕事に取りかかる。
 その後《ご》三十分間は家内平穏、別段吾輩の材料になるような事件も起らなかったが、突然妙な人が御客に来た。十七八の女学生である。踵《かかと》のまがった靴を履《は》いて、紫色の袴《はかま》を引きずって、髪を算盤珠《そろばんだま》のようにふくらまして勝手口から案内も乞《こ》わずに上《あが》って来た。これは主人の姪《めい》である。学校の生徒だそうだが、折々日曜にやって来て、よく叔父さんと喧嘩をして帰って行く雪江《ゆきえ》とか云う奇麗な名のお嬢さんである。もっとも顔は名前ほどでもない、ちょっと表へ出て一二町あるけば必ず逢える人相である。
「叔母さん今日は」と茶の間へつかつか這入《はい》って来て、針箱の横へ尻をおろした。
「おや、よく早くから……」
「今日は大祭日ですから、朝のうちにちょっと上がろうと思って、八時半頃から家《うち》を出て急いで来たの」
「そう、何か用があるの?」
「いいえ、ただあんまり御無沙汰をしたから、ちょっと上がったの」
「ちょっとでなくっていいから、緩《ゆっ》くり遊んでいらっしゃい。今に叔父さんが帰って来ますから」
「叔父さんは、もう、どこへかいらしったの。珍らしいのね」
「ええ今日はね、妙な所へ行ったのよ。……警察へ行ったの、妙でしょう」
「あら、何で?」
「この春|這入《はい》った泥棒がつらまったんだって」
「それで引き合に出されるの? いい迷惑ね」
「なあに品物が戻るのよ。取られたものが出たから取りに来いって、昨日《きのう》巡査がわざわざ来たもんですから」
「おや、そう、それでなくっちゃ、こんなに早く叔父さんが出掛ける事はないわね。いつもなら今時分はまだ寝ていらっしゃるんだわ」
「叔父さんほど、寝坊はないんですから……そうして起こすとぷんぷん怒《おこ》るのよ。今朝なんかも七時までに是非おこせと云うから、起こしたんでしょう。すると夜具の中へ潜《もぐ》って返事もしないんですもの。こっちは心配だから二度目にまたおこすと、夜着《よぎ》の袖《そで》から何か云うのよ。本当にあきれ返ってしまうの」
「なぜそんなに眠いんでしょう。きっと神経衰弱なんでしょう」
「何ですか」
「本当にむやみに怒る方《かた》ね。あれでよく学校が勤まるのね」
「なに学校じゃおとなしいんですって」
「じゃなお悪るいわ。まるで蒟蒻閻魔《こんにゃくえんま》ね」
「なぜ?」
「なぜでも蒟蒻閻魔なの。だって蒟蒻閻魔のようじゃありませんか」
「ただ怒るばかりじゃないのよ。人が右と云えば左、左と云えば右で、何でも人の言う通りにした事がない、――そりゃ強情ですよ」
「天探女《あまのじゃく》でしょう。叔父さんはあれが道楽なのよ。だから何かさせようと思ったら、うら[#「うら」に傍点]を云うと、こっちの思い通りになるのよ。こないだ蝙蝠傘《こうもり》を買ってもらう時にも、いらない、いらないって、わざと云ったら、いらない事があるものかって、すぐ買って下すったの」
「ホホホホ旨《うま》いのね。わたしもこれからそうしよう」
「そうなさいよ。それでなくっちゃ損だわ」
「こないだ保険会社の人が来て、是非|御這入《おはい》んなさいって、勧めているんでしょう、
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