昔し親類に隠居がおって、その隠居が死んだ時、当分留守番を頼まれた事がある。ところがその後一戸を構えて、隠居所を引き払う際に、そこで自分のもののように使っていた火鉢を何の気もなく、つい持って来てしまったのだそうだ。少々たちが悪いようだ。考えるとたちが悪いようだがこんな事は世間に往々ある事だと思う。銀行家などは毎日人の金をあつかいつけているうちに人の金が、自分の金のように見えてくるそうだ。役人は人民の召使である。用事を弁じさせるために、ある権限を委托した代理人のようなものだ。ところが委任された権力を笠《かさ》に着て毎日事務を処理していると、これは自分が所有している権力で、人民などはこれについて何らの喙《くちばし》を容《い》るる理由がないものだなどと狂ってくる。こんな人が世の中に充満してい驤ネ上は長火鉢事件をもって主人に泥棒根性があると断定する訳には行かぬ。もし主人に泥棒根性があるとすれば、天下の人にはみんな泥棒根性がある。
長火鉢の傍《そば》に陣取って、食卓を前に控《ひか》えたる主人の三面には、先刻《さっき》雑巾《ぞうきん》で顔を洗った坊ば[#「坊ば」に傍点]と御茶《おちゃ》の味噌[#「味噌」に傍点]の学校へ行くとん[#「とん」に傍点]子と、お白粉罎《しろいびん》に指を突き込んだすん[#「すん」に傍点]子が、すでに勢揃《せいぞろい》をして朝飯を食っている。主人は一応この三女子の顔を公平に見渡した。とん子の顔は南蛮鉄《なんばんてつ》の刀の鍔《つば》のような輪廓《りんかく》を有している。すん子も妹だけに多少姉の面影《おもかげ》を存して琉球塗《りゅうきゅうぬり》の朱盆《しゅぼん》くらいな資格はある。ただ坊ば[#「坊ば」に傍点]に至っては独《ひと》り異彩を放って、面長《おもなが》に出来上っている。但《ただ》し竪《たて》に長いのなら世間にその例もすくなくないが、この子のは横に長いのである。いかに流行が変化し易《やす》くったって、横に長い顔がはやる事はなかろう。主人は自分の子ながらも、つくづく考える事がある。これでも生長しなければならぬ。生長するどころではない、その生長の速《すみや》かなる事は禅寺《ぜんでら》の筍《たけのこ》が若竹に変化する勢で大きくなる。主人はまた大きくなったなと思うたんびに、後《うし》ろから追手《おって》にせまられるような気がしてひやひやする。いかに空漠《くうばく》なる主人でもこの三令嬢が女であるくらいは心得ている。女である以上はどうにか片付けなくてはならんくらいも承知している。承知しているだけで片付ける手腕のない事も自覚している。そこで自分の子ながらも少しく持て余しているところである。持て余すくらいなら製造しなければいいのだが、そこが人間である。人間の定義を云うとほかに何にもない。ただ入《い》らざる事を捏造《ねつぞう》して自《みずか》ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。
さすがに子供はえらい。これほどおやじが処置に窮しているとは夢にも知らず、楽しそうにご飯をたべる。ところが始末におえないのは坊ばである。坊ばは当年とって三歳であるから、細君が気を利《き》かして、食事のときには、三歳然たる小形の箸《はし》と茶碗をあてがうのだが、坊ばは決して承知しない。必ず姉の茶碗を奪い、姉の箸を引ったくって、持ちあつかい悪《にく》い奴を無理に持ちあつかっている。世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄《がら》にもない官職に登りたがるものだが、あの性質は全くこの坊ば時代から萌芽《ほうが》しているのである。その因《よ》って来《きた》るところはかくのごとく深いのだから、決して教育や薫陶《くんとう》で癒《なお》せる者ではないと、早くあきらめてしまうのがいい。
坊ばは隣りから分捕《ぶんど》った偉大なる茶碗と、長大なる箸を専有して、しきりに暴威を擅《ほしいまま》にしている。使いこなせない者をむやみに使おうとするのだから、勢《いきおい》暴威を逞《たくま》しくせざるを得ない。坊ばはまず箸の根元を二本いっしょに握ったままうんと茶碗の底へ突込んだ。茶碗の中は飯が八分通り盛り込まれて、その上に味噌汁が一面に漲《みなぎ》っている。箸の力が茶碗へ伝わるやいなや、今までどうか、こうか、平均を保っていたのが、急に襲撃を受けたので三十度ばかり傾いた。同時に味噌汁は容赦なくだらだらと胸のあたりへこぼれだす。坊ばはそのくらいな事で辟易《へきえき》する訳がない。坊ばは暴君である。今度は突き込んだ箸を、うんと力一杯茶碗の底から刎《は》ね上げた。同時に小さな口を縁《ふち》まで持って行って、刎《は》ね上げられた米粒を這入《はい》るだけ口の中へ受納した。打ち洩《も》らされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまと頬《ほ》っぺたと顋《あご》とへ、やっと掛声をして飛
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