こ》ったものだね」と解《げ》しかねたのが主人で、「やはり君、天才だよ」と敬服したのは東風君である。ただ独仙君ばかりは超然として髯《ひげ》を撚《ねん》している。
「そんな所にどうしてヴァイオリンがあるかが第一ご不審かも知れないですが、これは考えて見ると当り前の事です。なぜと云うとこの地方でも女学校があって、女学校の生徒は課業として毎日ヴァイオリンを稽古しなければならないのですから、あるはずです。無論いいのはありません。ただヴァイオリンと云う名が辛《かろ》うじてつくくらいのものであります。だから店でもあまり重きをおいていないので、二三梃いっしょに店頭へ吊《つ》るしておくのです。それがね、時々散歩をして前を通るときに風が吹きつけたり、小僧の手が障《さわ》ったりして、そら音《ね》を出す事があります。その音《ね》を聞くと急に心臓が破裂しそうな心持で、いても立ってもいられなくなるんです」
「危険だね。水癲癇《みずてんかん》、人癲癇《ひとでんかん》と癲癇にもいろいろ種類があるが君のはウェルテルだけあって、ヴァイオリン癲癇だ」と迷亭君が冷やかすと、
「いやそのくらい感覚が鋭敏でなければ真の芸術家にはなれないですよ。どうしても天才肌だ」と東風君はいよいよ感心する。
「ええ実際|癲癇《てんかん》かも知れませんが、しかしあの音色《ねいろ》だけは奇体ですよ。その後《ご》今日《こんにち》まで随分ひきましたがあのくらい美しい音《ね》が出た事がありません。そうさ何と形容していいでしょう。とうてい言いあらわせないです」
「琳琅※[#「王へん+樛のつくり」、第3水準1−88−22]鏘《りんろうきゅうそう》として鳴るじゃないか」とむずかしい事を持ち出したのは独仙君であったが、誰も取り合わなかったのは気の毒である。
「私が毎日毎日店頭を散歩しているうちにとうとうこの霊異な音《ね》を三度ききました。三度目にどうあってもこれは買わなければならないと決心しました。仮令《たとい》国のものから譴責《けんせき》されても、他県のものから軽蔑《けいべつ》されても――よし鉄拳《てっけん》制裁のために絶息《ぜっそく》しても――まかり間違って退校の処分を受けても――、こればかりは買わずにいられないと思いました」
「それが天才だよ。天才でなければ、そんなに思い込める訳のものじゃない。羨《うらやま》しい。僕もどうかして、それほど
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