オに脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばた[#「あばた」に傍点]があらわれてくる。いくら撫《な》でても、さすってもぽつぽつがとれない。枯野に蛍《ほたる》を放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意《ぎょい》に入らんのは勿論《もちろん》の事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝《あば》くにも当らぬ訳だ。なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばた[#「あばた」に傍点]も内済《ないさい》にしたいくらいなところだから、ただで生《は》える毛を銭《ぜに》を出して刈り込ませて、私は頭蓋骨《ずがいこつ》の上まで天然痘《てんねんとう》ノやられましたよと吹聴《ふいちょう》する必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以《ゆえん》で、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実である。
 風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病《りこんびょう》に罹《かか》ったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすれば何のために持って来たのだろう。あるいは例の消極的修養に必要な道具かも知れない。昔《むか》し或る学者が何とかいう智識を訪《と》うたら、和尚《おしょう》両肌を抜いで甎《かわら》を磨《ま》しておられた。何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろと罵《ののし》ったと云うから、主人もそんな事を聞き噛《かじ》って風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しているのかも知れない。大分《だいぶ》物騒になって来たなと、そっと窺《うかが》っている。
 かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる容子《ようす》をもって一張来《いっちょうらい》の鏡を見つめている。元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜|蝋燭《ろうそく》を立てて、広い部屋のなかで一人鏡を覗《のぞ》き込むにはよほどの勇気がいるそうだ。吾輩などは始めて当
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