sき》り付けられた時|電光影裏《でんこうえいり》に春風《しゅんぷう》を斬るとか、何とか洒落《しゃ》れた事を云ったと云う話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用が出来るのじゃないかしらん。僕なんか、そんなむずかしい事は分らないが、とにかく西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うのは少々誤まっているようだ。現に君がいくら積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出来ないじゃないか。君の権力であの学校を閉鎖するか、または先方が警察に訴えるだけのわるい事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たったて勝てっこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問題になる。多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》の問題になる。換言すると君が金持に頭を下げなければならんと云う事になる。衆を恃《たの》む小供に恐れ入らなければならんと云う事になる。君のような貧乏人でしかもたった一人で積極的に喧嘩をしようと云うのがそもそも君の不平の種さ。どうだい分ったかい」
主人は分ったとも、分らないとも言わずに聞いていた。珍客が帰ったあとで書斎へ這入《はい》って書物も読まずに何か考えていた。
鈴木の藤《とう》さんは金と衆とに従えと主人に教えたのである。甘木先生は催眠術で神経を沈めろと助言《じょごん》したのである。最後の珍客は消極的の修養で安心を得ろと説法したのである。主人がいずれを択《えら》ぶかは主人の随意である。ただこのままでは通されないに極《き》まっている。
九
主人は痘痕面《あばたづら》である。御維新前《ごいっしんまえ》はあばた[#「あばた」に傍点]も大分《だいぶ》流行《はや》ったものだそうだが日英同盟の今日《こんにち》から見ると、こんな顔はいささか時候|後《おく》れの感がある。あばた[#「あばた」に傍点]の衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くその迹《あと》を絶つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえども毫《ごう》も疑を挟《さしはさ》む余地のないほどの名論である。現今地球上にあばたっ面《つら》を有して生息している人間は何人くらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算して見ると、猫には一匹もない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人が即《すなわ》ち主人である。はなはだ気の毒である。
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