驍ノ従って、だんだん君子らしくなったものと見えて、次第に北側から南側の方面へ向けて蚕食《さんしょく》を企だてて来た。蚕食と云う語が君子に不似合ならやめてもよろしい。但《ただ》しほかに言葉がないのである。彼等は水草《すいそう》を追うて居を変ずる沙漠《さばく》の住民のごとく、桐《きり》の木を去って檜《ひのき》の方に進んで来た。檜のある所は座敷の正面である。よほど大胆なる君子でなければこれほどの行動は取れんはずである。一両日の後《のち》彼等の大胆はさらに一層の大を加えて大々胆《だいだいたん》となった。教育の結果ほど恐しいものはない。彼等は単に座敷の正面に逼《せま》るのみならず、この正面において歌をうたいだした。何と云う歌か忘れてしまったが、決して三十一文字《みそひともじ》の類《たぐい》ではない、もっと活溌《かっぱつ》で、もっと俗耳《ぞくじ》に入り易《やす》い歌であった。驚ろいたのは主人ばかりではない、吾輩までも彼等君子の才芸に嘆服《たんぷく》して覚えず耳を傾けたくらいである。しかし読者もご案内であろうが、嘆服と云う事と邪魔と云う事は時として両立する場合がある。この両者がこの際|図《はか》らずも合して一となったのは、今から考えて見ても返す返す残念である。主人も残念であったろうが、やむを得ず書斎から飛び出して行って、ここは君等の這入《はい》る所ではない、出給えと云って、二三度追い出したようだ。ところが教育のある君子の事だから、こんな事でおとなしく聞く訳がない。追い出されればすぐ這入る。這入れば活溌なる歌をうたう。高声《こうせい》に談話をする。しかも君子の談話だから一風《いっぷう》違って、おめえ[#「おめえ」に傍点]だの知らねえ[#「知らねえ」に傍点]のと云う。そ?ネ言葉は御維新前《ごいっしんまえ》は折助《おりすけ》と雲助《くもすけ》と三助《さんすけ》の専門的知識に属していたそうだが、二十世紀になってから教育ある君子の学ぶ唯一の言語であるそうだ。一般から軽蔑《けいべつ》せられたる運動が、かくのごとく今日《こんにち》歓迎せらるるようになったのと同一の現象だと説明した人がある。主人はまた書斎から飛び出してこの君子流の言葉にもっとも堪能《かんのう》なる一人を捉《つら》まえて、なぜここへ這入るかと詰問したら、君子はたちまち「おめえ[#「おめえ」に傍点]、知らねえ[#「知らねえ」に傍点]
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