発見が出来る。それはほかでもない。自然は真空を忌《い》むごとく、人間は平等を嫌うと云う事だ。すでに平等を嫌ってやむを得ず衣服を骨肉のごとくかようにつけ纏《まと》う今日において、この本質の一部分たる、これ等を打ちやって、元の杢阿弥《もくあみ》の公平時代に帰るのは狂人の沙汰である。よし狂人の名称を甘んじても帰る事は到底出来ない。帰った連中を開明人《かいめいじん》の目から見れば化物である。仮令《たとい》世界何億万の人口を挙《あ》げて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化物だから恥ずかしい事はないと安心してもやっぱり駄目である。世界が化物になった翌日からまた化物の競争が始まる。着物をつけて競争が出来なければ化物なりで競争をやる。赤裸《あかはだか》は赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この点から見ても衣服はとうてい脱ぐ事は出来ないものになっている。
 しかるに今吾輩が眼下《がんか》に見下《みおろ》した人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至《ないし》袴《はかま》もことごとく棚の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視《しゅうもくかんし》の裡《うち》に露出して平々然《へいへいぜん》と談笑を縦《ほしいま》まにしている。吾輩が先刻《さっき》一大奇観と云ったのはこの事である。吾輩は文明の諸君子のためにここに謹《つつし》んでその一般を紹介するの栄を有する。
 何だかごちゃごちゃしていて何《な》にから記述していいか分らない。化物のやる事には規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。まず湯槽《ゆぶね》から述べよう。湯槽だか何だか分らないが、大方《おおかた》湯槽というものだろうと思うばかりである。幅が三尺くらい、長《ながさ》は一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯が這入《はい》っている。何でも薬湯《くすりゆ》とか号するのだそうで、石灰《いしばい》を溶かし込んだような色に濁っている。もっともただ濁っているのではない。膏《あぶら》ぎって、重た気《げ》に濁っている。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水を易《か》えないのだそうだ。その隣りは普通一般の湯の由《よし》だがこれまたもって透明、瑩徹《えいてつ》などとは誓って申されない。天水桶《てんすいおけ》を攪《か》き混《ま》ぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれている。これから
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