ているから大地を行く事においてはあえて他の動物には劣るとは思わない。少なくとも二本と四本の数学的智識から判断して見て人間には負けないつもりである。しかし木登りに至っては大分《だいぶ》吾輩より巧者な奴がいる。本職の猿は別物として、猿の末孫《ばっそん》たる人間にもなかなか侮《あなど》るべからざる手合《てあい》がいる。元来が引力に逆らっての無理な事業だから出来なくても別段の恥辱《ちじょく》とは思わんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を与える。幸に爪と云う利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらん。のみならず蝉は飛ぶものである。蟷螂君《かまきりくん》と違って一たび飛んでしまったが最後、せっかくの木登りも、木登らずと何の択《えら》むところなしと云う悲運に際会する事がないとも限らん。最後に時々蝉から小便をかけられる危険がある。あの小便がややともすると眼を覘《ねら》ってしょぐってくるようだ。逃げるのは仕方がないから、どうか小便ばかりは垂れんように致したい。飛ぶ間際《まぎわ》に溺《いば》りを仕《つかまつ》るのは一体どう云う心理的状態の生理的器械に及ぼす影響だろう。やはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らん。そうすると烏賊《いか》の墨を吐き、ベランメーの刺物《ほりもの》を見せ、主人が羅甸語《ラテンご》を弄する類《たぐい》と同じ綱目《こうもく》に入るべき事項となる。これも蝉学上|忽《ゆる》かせにすべからざる問題である。充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はある。それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る。蝉のもっとも集注するのは――集注がおかしければ集合だが、集合は陳腐《ちんぷ》だからやはり集注にする。――蝉のもっとも集注するのは青桐《あおぎり》である。漢名を梧桐《ごとう》と号するそうだ。ところがこの青桐は葉が非常に多い、しかもその葉は皆|団扇《うちわ》くらいな大《おおき》さであるから、彼等が生《お》い重なると枝がまるで見えないくらい茂っている。これがはなはだ蝉取り運動の妨害になる。声はすれども姿は見えずと云う俗謡《ぞくよう》はとくに吾輩のために作った者ではなかろうかと怪しまれるくらいである。吾輩は仕方がないからただ声を知るべに行く。下から一間ばかりのところで梧桐は注文通
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