張り上げて寝室から飛び出して来る。見ると片手にはランプを提《さ》げ、片手にはステッキを持って、寝ぼけ眼《まなこ》よりは身分相応の炯々《けいけい》たる光を放っている。吾輩は鮑貝《あわびがい》の傍《そば》におとなしくして蹲踞《うずくま》る。二疋の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。主人は手持無沙汰に「何だ誰だ、大きな音をさせたのは」と怒気を帯びて相手もいないのに聞いている。月が西に傾いたので、白い光りの一帯は半切《はんきれ》ほどに細くなった。
六
こう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利《イギリス》のシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、せめてこの淡灰色の斑入《ふいり》の毛衣《けごろも》だけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分の中《うち》質にでも入れたいような気がする。人間から見たら猫などは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭《ぜに》のかからない生涯《しょうがい》を送っているように思われるかも知れないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水《ぎょうずい》の一度くらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾《のれん》を潜《くぐ》った事はない。折々は団扇《うちわ》でも使って見ようと云う気も起らんではないが、とにかく握る事が出来ないのだから仕方がない。それを思うと人間は贅沢《ぜいたく》なものだ。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮て見たり、焼いて見たり、酢《す》に漬《つ》けて見たり、味噌《みそ》をつけて見たり好んで余計な手数《てすう》を懸けて御互に恐悦している。着物だってそうだ。猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載《の》せて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になったり、蚕《かいこ》の御世話になったり、綿畠の御情《おなさ》けさえ受けるに至っては贅沢《ぜいたく》は無能の結果だと断言しても好いくらいだ。衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押して行くのは毫《ごう》も合点《がて
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