くらいにしておこう」
「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、いくら唐津《からつ》から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」
「しかし御前は知らんと云うじゃないか」
「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」
「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」
「何ですって」
「オタンチン・パレオロガスだよ」
「何ですそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」
「何でもいい。それからあとは――俺の着物は一向《いっこう》出て来んじゃないか」
「あとは何でも宜《よ》うござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かして頂戴《ちょうだい》」
「意味も何《な》にもあるもんか」
「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」
「愚《ぐ》な事を言わんで、早くあとを云うが好い。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」
「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えて頂戴」
「うるさい女だな、意味も何にも無いと云うに」
「そんなら、品物の方もあとはありません」
「頑愚《がんぐ》だな。それでは勝手にするがいい。俺はもう盗難告訴を書いてやらんから」
「私も品数《しなかず》を教えて上げません。告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いていただかないでも困りません」
「それじゃ廃《よ》そう」と主人は例のごとくふいと立って書斎へ這入《はい》る。細君は茶の間へ引き下がって針箱の前へ坐る。両人《ふたり》共十分間ばかりは何にもせずに黙って障子を睨《にら》め付けている。
 ところへ威勢よく玄関をあけて、山の芋の寄贈者|多々良三平《たたらさんぺい》君が上《あが》ってくる。多々良三平君はもとこの家《や》の書生であったが今では法科大学を卒業してある会社の鉱山部に雇われている。これも実業家の芽生《めばえ》で、鈴木藤十郎君の後進生である。三平君は以前の関係から時々旧先生の草廬《そうろ》を訪問して日曜などには一日遊んで帰るくらい、この家族とは遠慮のない間柄である。
「奥さん。よか天気でござります」と唐津訛《からつなま》りか何かで細君の前にズボン[#「ズボン」に傍点]のまま立て膝
前へ 次へ
全375ページ中142ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング