して眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった兄弟が一|疋《ぴき》も見えぬ。肝心《かんじん》の母親さえ姿を隠してしまった。その上|今《いま》までの所とは違って無暗《むやみ》に明るい。眼を明いていられぬくらいだ。はてな何でも容子《ようす》がおかしいと、のそのそ這《は》い出して見ると非常に痛い。吾輩は藁《わら》の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。
ようやくの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池がある。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別《ふんべつ》も出ない。しばらくして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いた。ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減って来た。泣きたくても声が出ない。仕方がない、何でもよいから食物《くいもの》のある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左《ひだ》りに廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這《は》って行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。ここへ這入《はい》ったら、どうにかなると思って竹垣の崩《くず》れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍《ろぼう》に餓死《がし》したかも知れんのである。一樹の蔭とはよく云《い》ったものだ。この垣根の穴は今日《こんにち》に至るまで吾輩が隣家《となり》の三毛を訪問する時の通路になっている。さて邸《やしき》へは忍び込んだもののこれから先どうして善《い》いか分らない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予《ゆうよ》が出来なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。今から考えるとその時はすでに家の内に這入っておったのだ。ここで吾輩は彼《か》の書生以外の人間を再び見るべき機会に遭遇《そうぐう》したのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋《くびすじ》をつかんで表へ抛《ほう》り出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。しかしひもじいのと寒いのにはどうし
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