《もも》千鳥《ちどり》をかくす。庭には黄な花、赤い花、紫の花、紅《くれない》の花――凡《すべ》ての春の花が、凡ての色を尽くして、咲きては乱れ、乱れては散り、散りては咲いて、冬知らぬ空を誰《たれ》に向って誇る。
 暖かき草の上に二人が坐って、二人共に青絹を敷いた様な海の面を遙かの下に眺めている。二人共に斑《ふ》入《い》りの大理石の欄干に身を靠《もた》せて、二人共に足を前に投げ出している。二人の頭の上から欄干を斜めに林檎《りんご》の枝が花の蓋《かさ》をさしかける。花が散ると、あるときはクララの髪の毛にとまり、ある時はウィリアムの髪の毛にかかる。又ある時は二人の頭と二人の袖にはらはらと一度にかかる。枝から釣るす籠《かご》の内で鸚鵡《おうむ》が時々けたたましい音《ね》を出す。
「南方の日の露に沈まぬうちに」とウィリアムは熱き唇をクララの唇につける。二人の唇の間に林檎の花の一片《ひとひら》がはさまって濡《ぬ》れたままついている。
「この国の春は長《とこし》えぞ」とクララ窘《たしな》める如くに云う。ウィリアムは嬉しき声に Druerie ! と呼ぶ。クララも同じ様に Druerie ! と云う。籠の中なる鸚鵡が Druerie ! と鋭どき声を立てる。遙か下なる春の海もドルエリと答える。海の向うの遠山もドルエリと答える。丘を蔽う凡ての橄欖《かんらん》と、庭に咲く黄な花、赤い花、紫の花、紅の花――凡ての春の花と、凡ての春の物が皆一斉にドルエリと答える。――これは盾の中の世界である。しかしてウィリアムは盾である。
 百年の齢《よわ》いは目出度《めでたく》も難有《ありがた》い。然しちと退屈じゃ。楽《たのしみ》も多かろうが憂も長かろう。水臭い麦酒《ビール》を日毎に浴びるより、舌を焼く酒精《アルコール》を半滴味わう方が手間がかからぬ。百年を十で割り、十年を百で割って、剰《あま》すところの半時に百年の苦楽を乗じたらやはり百年の生を享《う》けたと同じ事じゃ。泰山もカメラの裏《うち》に収まり、水素も冷ゆれば液となる。終生の情けを、分《ふん》と縮め、懸命の甘きを点と凝らし得《う》るなら――然しそれが普通の人に出来る事だろうか? ――この猛烈な経験を嘗《な》め得たものは古往今来ウィリアム一|人《にん》である。(二月十八日)



底本:「倫敦塔・幻影の盾」新潮文庫、新潮社
   1952(昭和27
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