と盃を眉のあたりに上げて隼《はやぶさ》の如く床の上に投げ下《くだ》す。一座の大衆はフラーと叫んで血の如き酒を啜《すす》る。ウィリアムもフラーと叫んで血の如き酒を啜る。シワルドもフラーと叫んで血の如き酒を啜りながら尻目にウィリアムを見る。ウィリアムは独り立って吾|室《へや》に帰りて、人の入らぬ様に内側から締りをした。
 盾だ愈盾だとウィリアムは叫びながら室の中をあちらこちらと歩む。盾は依然として壁に懸っている。ゴーゴン・メジューサとも較ぶべき顔は例に由《よ》って天地人を合せて呪い、過去|現世《げんぜ》未来に渉《わた》って呪い、近寄るもの、触るるものは無論、目に入らぬ草も木も呪い悉《つく》さでは已まぬ気色《けしき》である。愈この盾を使わねばならぬかとウィリアムは盾の下にとまって壁間を仰ぐ。室の戸を叩く音のする様な気合《けはい》がする。耳を峙《そばだ》てて聞くと何の音でもない。ウィリアムは又|内懐《うちぶところ》からクララの髪毛《かみげ》を出す。掌《たなごごろ》に乗せて眺めるかと思うと今度はそれを叮嚀《ていねい》に、室の隅に片寄せてある三本脚の丸いテーブルの上に置いた。ウィリアムは又内懐へ手を入れて胸の隠しの裏《うち》から何か書付の様なものを攫《つか》み出す。室の戸口まで行って横にさした鉄の棒の抜けはせぬかと振り動かして見る。締《しまり》は大丈夫である。ウィリアムは丸机に倚《よ》って取り出した書付を徐《おもむ》ろに開く。紙か羊皮か慥《たし》かには見えぬが色合の古び具合から推すと昨今の物ではない。風なきに紙の表てが動くのは紙が己《おの》れと動くのか、持つ手の動くのか。書付の始めには「幻影の盾の由来」とかいてある。すれたものか文字のあとが微かに残っているばかりである。「汝《なんじ》が祖ウィリアムはこの盾を北の国の巨人に得たり。……」ここにウィリアムとあるはわが四世の祖だとウィリアムが独り言う。「黒雲の地を渡る日なり。北の国の巨人は雲の内より振り落されたる鬼の如くに寄せ来る。拳《こぶし》の如き瘤《こぶ》のつきたる鉄棒を片手に振り翳《かざ》して骨も摧《くだ》けよと打てば馬も倒れ人も倒れて、地を行く雲に血潮を含んで、鳴る風に火花をも見る。人を斬るの戦にあらず、脳を砕き胴を潰《つぶ》して、人という形を滅せざれば已まざる烈《はげ》しき戦なり。……」ウィリアムは猛《たけ》き者共よと眉をひ
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