致すとき、一般の幸福を促《うな》がして、社会を真正の文明に導くが故に、悲劇は偉大である。
 問題は無数にある。粟《あわ》か米か、これは喜劇である。工か商か、これも喜劇である。あの女かこの女か、これも喜劇である。綴織《つづれおり》か繻珍《しゅちん》か、これも喜劇である。英語か独乙語《ドイツご》か、これも喜劇である。すべてが喜劇である。最後に一つの問題が残る。――生か死か。これが悲劇である。
 十年は三千六百日である。普通の人が朝から晩に至って身心を労する問題は皆喜劇である。三千六百日を通して喜劇を演ずるものはついに悲劇を忘れる。いかにして生を解釈せんかの問題に煩悶《はんもん》して、死の一字を念頭に置かなくなる。この生とあの生との取捨に忙がしきが故に生と死との最大問題を閑却する。
 死を忘るるものは贅沢《ぜいたく》になる。一浮《いっぷ》も生中である。一沈《いっちん》も生中である。一挙手も一投足もことごとく生中にあるが故に、いかに踊るも、いかに狂うも、いかにふざけるも、大丈夫生中を出ずる気遣《きづかい》なしと思う。贅沢は高《こう》じて大胆となる。大胆は道義を蹂躙《じゅうりん》して大自在《だいじざい》に跳梁《ちょうりょう》する。
 万人はことごとく生死の大問題より出立する。この問題を解決して死を捨てると云う。生を好むと云う。ここにおいて万人は生に向って進んだ。ただ死を捨てると云うにおいて、万人は一致するが故に、死を捨てるべき必要の条件たる道義を、相互に守るべく黙契した。されども、万人は日に日に生に向って進むが故に、日に日に死に背《そむ》いて遠ざかるが故に、大自在に跳梁して毫《ごう》も生中を脱するの虞《おそれ》なしと自信するが故に、――道義は不必要となる。
 道義に重《おもき》を置かざる万人は、道義を犠牲にしてあらゆる喜劇を演じて得意である。ふざける。騒ぐ。欺《あざむ》く。嘲弄《ちょうろう》する。馬鹿にする。踏む。蹴る。――ことごとく万人が喜劇より受くる快楽である。この快楽は生に向って進むに従って分化発展するが故に――この快楽は道義を犠牲にして始めて享受《きょうじゅ》し得るが故に――喜劇の進歩は底止《ていし》するところを知らずして、道義の観念は日を追うて下《くだ》る。
 道義の観念が極度に衰えて、生を欲する万人の社会を満足に維持しがたき時、悲劇は突然として起る。ここにおいて万人の眼はことごとく自己の出立点に向う。始めて生の隣に死が住む事を知る。妄《みだ》りに踊り狂うとき、人をして生の境を踏み外《はず》して、死の圜内《けんない》に入らしむる事を知る。人もわれももっとも忌《い》み嫌える死は、ついに忘るべからざる永劫《えいごう》の陥穽《かんせい》なる事を知る。陥穽の周囲に朽《く》ちかかる道義の縄は妄《みだ》りに飛び超《こ》ゆべからざるを知る。縄は新たに張らねばならぬを知る。第二義以下の活動の無意味なる事を知る。しかして始めて悲劇の偉大なるを悟る。……」
 二ヵ月|後《ご》甲野さんはこの一節を抄録して倫敦《ロンドン》の宗近君に送った。宗近君の返事にはこうあった。――
「ここでは喜劇ばかり流行《はや》る」



底本:「夏目漱石全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年1月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:伊藤時也
1999年4月3日公開
2004年1月10日修正
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