を遺失して生きたものとは認められぬ。余が通り抜ける極楽水《ごくらくみず》の貧民は打てども蘇《よ》み返《がえ》る景色《けしき》なきまでに静かである。――実際死んでいるのだろう。ポツリポツリと雨はようやく濃《こま》かになる。傘《かさ》を持って来なかった、ことによると帰るまでにはずぶ濡《ぬれ》になるわいと舌打をしながら空を仰ぐ。雨は闇の底から蕭々《しょうしょう》と降る、容易に晴れそうにもない。
五六間先にたちまち白い者が見える。往来《おうらい》の真中に立ち留って、首を延《のば》してこの白い者をすかしているうちに、白い者は容赦もなく余の方へ進んでくる。半分《はんぶん》と立たぬ間《ま》に余の右側を掠《かす》めるごとく過ぎ去ったのを見ると――蜜柑箱《みかんばこ》のようなものに白い巾《きれ》をかけて、黒い着物をきた男が二人、棒を通して前後から担《かつ》いで行くのである。おおかた葬式か焼場であろう。箱の中のは乳飲子《ちのみご》に違いない。黒い男は互に言葉も交えずに黙ってこの棺桶《かんおけ》を担いで行く。天下に夜中《やちゅう》棺桶を担《にな》うほど、当然の出来事はあるまいと、思い切った調子でコツコツ担いで行く。闇に消える棺桶をしばらくは物珍らし気に見送って振り返った時、また行手から人声が聞え出した。高い声でもない、低い声でもない、夜が更《ふ》けているので存外反響が烈《はげ》しい。
「昨日《きのう》生れて今日《きょう》死ぬ奴もあるし」と一人が云うと「寿命だよ、全く寿命だから仕方がない」と一人が答える。二人の黒い影がまた余の傍《そば》を掠《かす》めて見る間《ま》に闇の中へもぐり込む。棺の後《あと》を追って足早に刻《きざ》む下駄の音のみが雨に響く。
「昨日生れて今日死ぬ奴もあるし」と余は胸の中《うち》で繰り返して見た。昨日生まれて今日死ぬ者さえあるなら、昨日病気に罹《かか》って今日死ぬ者は固《もと》よりあるべきはずである。二十六年も娑婆《しゃば》の気を吸ったものは病気に罹らんでも充分死ぬ資格を具《そな》えている。こうやって極楽水を四月三日の夜の十一時に上《のぼ》りつつあるのは、ことによると死にに上ってるのかも知れない。――何だか上りたくない。しばらく坂の中途で立って見る。しかし立っているのは、ことによると死にに立っているのかも知れない。――また歩行《ある》き出す。死ぬと云う事がこれほど人
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