》まりで、世の中にあり得ないほどの、理想を以て進まねばならなかった。親が、子供のいう事を聞かぬ時は、二十四孝《にじゅうしこう》を引き出して子供を戒《いまし》めると、子供は閉口《へいこう》するというような風であります。それで昔は上の方には束縛がなくて、上の下に対する束縛がある、これは能《よ》くない、親が子に対する理想はあるが子が親に対する理想はなかった。妻が夫に臣が君に対する理想はなかったのです。即ち忠臣貞女とかいうが如きものを完全なものとして孝子は親の事、忠臣は君の事、貞女は夫の事をばかり考えていた。誠にえらいものである。その原因は科学的精神が乏しかったためで、その理想を批評せず吟味《ぎんみ》せずにこれを行《おこな》って行《い》ったというのである。また昔は階級制度が厳しいために過去の英雄豪傑は非常にえらい人のように見えて、自分より上の人は非常にえらくかつ古人が世の中に存在し得るという信仰があったため、また、一《ひとつ》は所が隔《へだ》たっていて目《ま》のあたり見なれぬために遠隔の地の人のことは非常に誇大《こだい》して考えられたものである、今は交通が便利であるためにそんな事がない、私などもあまり飛び出さないと大家《たいか》と見られるであろう。
 さて当時は理想を目前に置き、自分の理想を実現しようと一種の感激を前に置いてやるから、一種の感激教育となりまして、知の方は主でなく、インスピレーションともいうような情緒《じょうしょ》の教育でありました。なんでも出来ると思う、精神一到《せいしんいっとう》何事《なにごとか》不成《ならざらん》というような事を、事実と思っている。意気天を衝《つ》く。怒髪《どはつ》天をつく。炳《へい》として日月《じつげつ》云々《うんぬん》という如き、こういう詞《ことば》を古人は盛《さかん》に用いた。感激的というのはこんな有様《ありさま》で情緒的教育でありましたから一般の人の生活状態も、エモーショナルで努力主義でありました。そういう教育を受ける者は、前のような有様でありますが社会は如何《どう》かというと、非常に厳格で少しのあやまちも許さぬというようになり、少しく申訳がなければ坊主《ぼうず》となり切腹するという感激主義であった、即ち社会の本能からそういうことになったもので、大体よりこれが日本の主眼とする所でありました、それが明治になって非常に異《ことな》って
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