、新ローマン主義ともいうべきものは、自然主義対ローマン主義の最後に生ずるはずである。新ローマン主義というとも決して、昔のローマン主義に返ったのではない、全く別物なのであります。
 即ち新ローマン主義は、昔時のローマン主義のように空想に近い理想を立てずに、程度の低い実際に近い達成し得《え》らるる目的を立てて、やって行くのである。社会は常に、二元である。ローマン主義の調和は時と場所に依り、その要求に応じて二者が適宜に調諧《ちょうかい》して、甲の場合には自然主義六分ローマン主義四分というように時代及び場所の要求に伴《ともの》うて、両者の完全なる調和を保つ所に、新ローマン主義を認める。将来はこうなる事であろうと思う。
 昔の感激的の教育と、当時の情緒的なローマン主義の文芸と今の科学上の真《しん》を重んずる教育主義と、空想的ならざる自然主義の文芸と、相連《あいつらな》って両者の変遷及び関係が明瞭になるのであります。かくして人心に向上の念がある以上、永久にローマン主義の存続を認むると共に、総《すべ》ての真に価値を発見する自然主義もまた充分なる生命を存して、この二者の調和が今後の重《おも》なる傾向となるべきものと思うのであります。
 近頃教育者には文学はいらぬというものもあるが、自分の今までのお話は全く教育に関係がないという事が出来ぬ。現時の教育において小学校中等学校はローマン主義で大学などに至っては、ナチュラル主義のものとなる。この二者は密接なる関係を有して、二つであるけれどもつまりは一つに重《かさ》なるものと見てよろしいのであります。故に前《ぜん》申した通り文学と教育とは決して離れないものであるのであります。(文責記者にあり)
[#地から2字上げ]――明治四四、七、一『信濃教育』――



底本:「漱石文明論集」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年10月16日第1刷発行
   1998(平成10)年7月24日第26刷発行
入力:柴田卓治
校正:福地博文
1999年8月4日公開
2003年10月9日修正
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