いう感じだけが残っている。無論|長屋住居《ながやずまい》の貧しい暮しをしていたものの子である。我ら二人の寝起《ねおき》する所も、屋根に一枚の瓦《かわら》さえ見る事のできない古長屋の一部であった。下には学僕《がくぼく》と幹事を混《ま》ぜて十人ばかり寄宿していた。そうして吹《ふ》き曝《さら》しの食堂で、下駄《げた》を穿《は》いたまま、飯を食った。食料は一箇月に二円であったが、その代りはなはだ不味《まず》いものであった。それでも、隔日に牛肉の汁を一度ずつ食わした。もちろん肉の膏《あぶら》が少し浮いて、肉の香《か》が箸《はし》に絡《から》まって来るくらいなところであった。それで塾生は幹事が狡猾《こうかつ》で、旨《うま》いものを食わせなくっていかんとしきりに不平をこぼしていた。
 中村と自分はこの私塾《しじゅく》の教師であった。二人とも月給を五円ずつ貰って、日に二時間ほど教えていた。自分は英語で地理書や幾何学を教えた。幾何の説明をやる時に、どうしてもいっしょになるべき線が、いっしょにならないで困った事がある。ところが込《こ》みいった図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上で重なり合っていっしょになってくれたのは嬉しかった。
 二人は朝起きると、両国橋を渡って、一つ橋の予備門に通学した。その時分予備門の月謝は二十五銭であった。二人は二人の月給を机の上にごちゃごちゃに攪《か》き交《ま》ぜて、そのうちから二十五銭の月謝と、二円の食料と、それから湯銭|若干《そくばく》を引いて、あまる金を懐《ふところ》に入れて、蕎麦《そば》や汁粉《しるこ》や寿司《すし》を食い廻って歩いた。共同財産が尽きると二人とも全く出なくなった。
 予備門へ行く途中両国橋の上で、貴様の読んでいる西洋の小説のなかには美人が出て来るかと中村が聞いた事がある。自分はうん出て来ると答えた。しかしその小説は何の小説で、どんな美人が出て来たのか、今ではいっこう覚えない。中村はその時から小説などを読まない男であった。
 中村が端艇競争《ボートきょうそう》のチャンピヨンになって勝った時、学校から若干の金をくれて、その金で書籍を買って、その書籍へある教授が、これこれの記念に贈ると云う文句を書き添えた事がある。中村はその時おれは書物なんかいらないから、何でも貴様の好《すき》なものを買ってやると云った。そうしてアーノルドの
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