まま、指一本も動かさずに辛抱していたが、存外鳥の方は平気なようなので、やがて思い切って、そっと身を後《うしろ》へ引いた。同時に鳥はひらりと手摺の上に飛び上がって、すぐと眼の前に来た。自分と鳥の間はわずか一尺ほどに過ぎない。自分は半《なか》ば無意識に右手《めて》を美しい鳥の方に出した。鳥は柔《やわら》かな翼《つばさ》と、華奢《きゃしゃ》な足と、漣《さざなみ》の打つ胸のすべてを挙《あ》げて、その運命を自分に託するもののごとく、向うからわが手の中《うち》に、安らかに飛び移った。自分はその時丸味のある頭を上から眺めて、この鳥は……と思った。しかしこの鳥は……の後《あと》はどうしても思い出せなかった。ただ心の底の方にその後《あと》が潜《ひそ》んでいて、総体を薄く暈《ぼか》すように見えた。この心の底一面に煮染《にじ》んだものを、ある不可思議の力で、一所《ひとところ》に集めて判然《はっきり》と熟視したら、その形は、――やっぱりこの時、この場に、自分の手のうちにある鳥と同じ色の同じ物であったろうと思う。自分は直《ただち》に籠《かご》の中に鳥を入れて、春の日影の傾《かたむ》くまで眺めていた。そうしてこの鳥はどんな心持で自分を見ているだろうかと考えた。
やがて散歩に出た。欣々然《きんきんぜん》として、あてもないのに、町の数をいくつも通り越して、賑《にぎや》かな往来《おうらい》を行ける所まで行ったら、往来は右へ折れたり左へ曲ったりして、知らない人の後《あと》から、知らない人がいくらでも出て来る。いくら歩いても賑《にぎや》かで、陽気で、楽々しているから、自分はどこの点で世界と接触して、その接触するところに一種の窮屈を感ずるのか、ほとんど想像も及ばない。知らない人に幾千人となく出逢《であ》うのは嬉《うれ》しいが、ただ嬉しいだけで、その嬉しい人の眼つきも鼻つきもとんと頭に映らなかった。するとどこかで、宝鈴《ほうれい》が落ちて廂瓦《ひさしがわら》に当るような音がしたので、はっと思って向うを見ると、五六間先の小路《こうじ》の入口に一人の女が立っていた。何を着ていたか、どんな髷《まげ》に結《ゆ》っていたか、ほとんど分らなかった。ただ眼に映ったのはその顔である。その顔は、眼と云い、口と云い、鼻と云って、離れ離れに叙述する事のむずかしい――否、眼と口と鼻と眉《まゆ》と額といっしょになって、たった一つ自
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