、如何にして三千代を救《すく》ひ得べきかの問題であつた。
 最後に彼の周囲を人間のあらん限《かぎ》り包《つゝ》む社会に対しては、彼は何の考も纏めなかつた。事実として、社会は制裁の権を有してゐた。けれども動機行為の権は全く自己の天分から湧いて出《で》るより外に道はないと信じた。かれは此点に於て、社会と自分との間には全く交渉のないものと認めて進行する気であつた。
 代助は彼《かれ》の小《ちい》さな世界の中心に立つて、彼《かれ》の世界を斯様に観て、一順其関係比例を頭《あたま》の中で調べた上、
「善《よ》からう」と云つて、又|家《いへ》を出た。さうして一二丁|歩《ある》いて、乗り付《つ》けの帳場迄|来《き》て、奇麗で早《はや》さうな奴《やつ》を択んで飛び乗《の》つた。何処《どこ》へ行く当《あて》もないのを好加減な町を名指《なざ》して二時間程ぐる/\乗り廻《まは》して帰《かへ》つた。
 翌日も書斎の中《なか》で前日同様、自分の世界の中心に立つて、左右前後を一応|隈《くま》なく見渡した後《あと》、
「宜《よろ》しい」と云つて外《そと》へ出て、用もない所を今度は足に任せてぶら/\歩《ある》いて帰つた。
 三日目にも同じ事を繰《く》り返した。が、今度は表へ出《で》るや否や、すぐ江戸川を渡つて、三千代の所へ来《き》た。三千代は二人《ふたり》の間《あひだ》に何事も起《おこ》らなかつたかの様に、
「何故《なぜ》夫《それ》から入らつしやらなかつたの」と聞《き》いた。代助は寧ろ其落ち付き払《はら》つた態度に驚ろかされた。三千代はわざと平岡の机の前に据ゑてあつた蒲団を代助の前へ押し遣《や》つて、
「何《なん》でそんなに、そわ/\して居《ゐ》らつしやるの」と無理に其上《そのうへ》に坐《すは》らした。
 一時間ばかり話してゐるうちに、代助の頭《あたま》は次第に穏《おだ》やかになつた。車《くるま》へ乗つて、当《あて》もなく乗り回《まは》すより、三十分でも好《い》いから、早く此所《こゝ》へ遊びに来《く》れば可《よ》かつたと思ひ出した。帰るとき代助は、
「又|来《き》ます。大丈夫だから安心して入《い》らつしやい」と三千代を慰める様に云つた。三千代はたゞ微笑した丈であつた。

       十五の三

 其|夕方《ゆふがた》始めて父《ちゝ》からの報知《しらせ》に接した。其時代助は婆さんの給仕で飯《めし》を食《く》つてゐた。茶碗を膳の上《うへ》へ置いて、門野《かどの》から手紙を受取つて読むと、明朝何時迄に御|出《いで》の事といふ文句があつた。代助は、
「御役所風だね」と云ひながら、わざと端書《はがき》を門野《かどの》に見せた。門野《かどの》は、
「青山《あをやま》の御宅《おたく》からですか」と叮嚀に眺めてゐたが、別に云ふ事がないものだから、表《おもて》を引つ繰り返して、
「何《ど》うも何《なん》ですな。昔《むかし》の人《ひと》は矢っ張り手蹟《て》が好《い》い様ですな」と御世辞を置き去《ざ》りにして出て行つた。婆さんは先刻《さつき》から暦《こよみ》の話《はなし》をしきりに為《し》てゐた。みづのえ[#「みづのえ」に傍点]だのかのと[#「かのと」に傍点]だの、八朔だの友引《ともびき》だの、爪《つめ》を切《き》る日だの普請をする日だのと頗る煩《うるさ》いものであつた。代助は固より上《うは》の空《そら》で聞《き》いてゐた。婆さんは又|門野《かどの》の職《しよく》の事を頼《たの》んだ。十五円でも宜《い》いから何方《どつか》へ出《だ》して遣《や》つて呉れないかと云つた。代助は自分ながら、何《ど》んな返事をしたか分《わか》らない位気にも留《と》めなかつた。たゞ心《こゝろ》のうちでは、門野|所《どころ》か、この己《おれ》が危《あや》しい位だと思つた。
 食事《しよくじ》を終るや否や、本郷から寺尾が来《き》た。代助は門野の顔《かほ》を見て暫らく考へてゐた。門野《かどの》は無雑作に、
「断《ことわ》りますか」と聞いた。代助は此間から珍らしくある会《くわい》を一二回欠席した。来客も逢《あ》はないで済《す》むと思ふ分は両度程謝絶した。
 代助は思ひ切つて寺尾に逢つた。寺尾は何時《いつ》もの様に、血眼《ちまなこ》になつて、何か探《さが》してゐた。代助は其様子を見て、例の如く皮肉で持ち切る気にもなれなかつた。翻訳だらうが焼き直しだらうが、生きてゐるうちは何処《どこ》迄も遣《や》る覚悟だから、寺尾の方がまだ自分より社会の児《じ》らしく見えた。自分がもし失脚して、彼と同様の地位に置かれたら、果して何《ど》の位の仕事に堪えるだらうと思ふと、代助は自分に対して気の毒になつた。さうして、自分が遠からず、彼《かれ》よりも甚《ひど》く失脚するのは、殆んど未発の事実の如く確《たしか》だと諦めてゐたから、彼は侮蔑の
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