らそこにあったのですから、これは置き所がないため、やむをえずそのままに立て懸けてあったのでしょう。
こんな話をすると、自然その裏に若い女の影があなたの頭を掠《かす》めて通るでしょう。移った私にも、移らない初めからそういう好奇心がすでに動いていたのです。こうした邪気《じゃき》が予備的に私の自然を損なったためか、または私がまだ人慣《ひとな》れなかったためか、私は始めてそこのお嬢《じょう》さんに会った時、へどもどした挨拶《あいさつ》をしました。その代りお嬢さんの方でも赤い顔をしました。
私はそれまで未亡人《びぼうじん》の風采《ふうさい》や態度から推《お》して、このお嬢さんのすべてを想像していたのです。しかしその想像はお嬢さんに取ってあまり有利なものではありませんでした。軍人の妻君《さいくん》だからああなのだろう、その妻君の娘だからこうだろうといった順序で、私の推測は段々延びて行きました。ところがその推測が、お嬢さんの顔を見た瞬間に、悉《ことごと》く打ち消されました。そうして私の頭の中へ今まで想像も及ばなかった異性の匂《にお》いが新しく入って来ました。私はそれから床の正面に活《い》けてある花が厭《いや》でなくなりました。同じ床に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。
その花はまた規則正しく凋《しお》れる頃《ころ》になると活け更《か》えられるのです。琴も度々《たびたび》鍵《かぎ》の手に折れ曲がった筋違《すじかい》の室《へや》に運び去られるのです。私は自分の居間で机の上に頬杖《ほおづえ》を突きながら、その琴の音《ね》を聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解《わか》らないのです。けれども余り込み入った手を弾《ひ》かないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました。まあ活花の程度ぐらいなものだろうと思いました。花なら私にも好く分るのですが、お嬢さんは決して旨《うま》い方ではなかったのです。
それでも臆面《おくめん》なく色々の花が私の床を飾ってくれました。もっとも活方《いけかた》はいつ見ても同じ事でした。それから花瓶《かへい》もついぞ変った例《ためし》がありませんでした。しかし片方の音楽になると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向《いっこう》肉声を聞かせないのです。唄《うた》わないのではありませんが、まるで内所話《ないしょばなし》でもするように小さな声しか出さないのです。しかも叱《しか》られると全く出なくなるのです。
私は喜んでこの下手な活花を眺《なが》めては、まずそうな琴の音《ね》に耳を傾けました。
十二
「私の気分は国を立つ時すでに厭世的《えんせいてき》になっていました。他《ひと》は頼りにならないものだという観念が、その時骨の中まで染《し》み込んでしまったように思われたのです。私は私の敵視する叔父《おじ》だの叔母《おば》だの、その他《た》の親戚《しんせき》だのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。汽車へ乗ってさえ隣のものの様子を、それとなく注意し始めました。たまに向うから話し掛けられでもすると、なおの事警戒を加えたくなりました。私の心は沈鬱《ちんうつ》でした。鉛を呑《の》んだように重苦しくなる事が時々ありました。それでいて私の神経は、今いったごとくに鋭く尖《とが》ってしまったのです。
私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな源因《げんいん》になっているように思われます。金に不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気にもなったのだといえばそれまでですが、元の通りの私ならば、たとい懐中《ふところ》に余裕ができても、好んでそんな面倒な真似《まね》はしなかったでしょう。
私は小石川《こいしかわ》へ引き移ってからも、当分この緊張した気分に寛《くつろ》ぎを与える事ができませんでした。私は自分で自分が恥ずかしいほど、きょときょと周囲を見廻《みまわ》していました。不思議にもよく働くのは頭と眼だけで、口の方はそれと反対に、段々動かなくなって来ました。私は家《うち》のものの様子を猫のようによく観察しながら、黙って机の前に坐《すわ》っていました。時々は彼らに対して気の毒だと思うほど、私は油断のない注意を彼らの上に注《そそ》いでいたのです。おれは物を偸《ぬす》まない巾着切《きんちゃくきり》みたようなものだ、私はこう考えて、自分が厭《いや》になる事さえあったのです。
あなたは定《さだ》めて変に思うでしょう。その私がそこのお嬢《じょう》さんをどうして好《す》く余裕をもっているか。そのお嬢さんの下手な活花《いけばな》を、どうして嬉《うれ》しがって眺《なが》める余裕があるか。同じく下手なその人の琴をどうして喜んで聞く余裕があるか。そう質問された時、私はただ両方とも事実であったのだから、事実としてあなたに教えて上げるというより外《ほか》に仕方がないのです。解釈は頭のあるあなたに任せるとして、私はただ一言《いちごん》付け足しておきましょう。私は金に対して人類を疑《うたぐ》ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他《ひと》から見ると変なものでも、また自分で考えてみて、矛盾したものでも、私の胸のなかでは平気で両立していたのです。
私は未亡人《びぼうじん》の事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人《おとな》しい男と評しました。それから勉強家だとも褒《ほ》めてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。気が付かなかったのか、遠慮していたのか、どっちだかよく解《わか》りませんが、何しろそこにはまるで注意を払っていないらしく見えました。それのみならず、ある場合に私を鷹揚《おうよう》な方《かた》だといって、さも尊敬したらしい口の利《き》き方をした事があります。その時正直な私は少し顔を赤らめて、向うの言葉を否定しました。すると奥さんは「あなたは自分で気が付かないから、そうおっしゃるんです」と真面目《まじめ》に説明してくれました。奥さんは始め私のような書生を宅《うち》へ置くつもりではなかったらしいのです。どこかの役所へ勤める人か何かに坐敷《ざしき》を貸す料簡《りょうけん》で、近所のものに周旋を頼んでいたらしいのです。俸給が豊《ゆた》かでなくって、やむをえず素人屋《しろうとや》に下宿するくらいの人だからという考えが、それで前かたから奥さんの頭のどこかにはいっていたのでしょう。奥さんは自分の胸に描《えが》いたその想像のお客と私とを比較して、こっちの方を鷹揚だといって褒《ほ》めるのです。なるほどそんな切り詰めた生活をする人に比べたら、私は金銭にかけて、鷹揚だったかも知れません。しかしそれは気性《きしょう》の問題ではありませんから、私の内生活に取ってほとんど関係のないのと一般でした。奥さんはまた女だけにそれを私の全体に推《お》し広げて、同じ言葉を応用しようと力《つと》めるのです。
十三
「奥さんのこの態度が自然私の気分に影響して来ました。しばらくするうちに、私の眼はもとほどきょろ付かなくなりました。自分の心が自分の坐《すわ》っている所に、ちゃんと落ち付いているような気にもなれました。要するに奥さん始め家《うち》のものが、僻《ひが》んだ私の眼や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかったのが、私に大きな幸福を与えたのでしょう。私の神経は相手から照り返して来る反射のないために段々静まりました。
奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風《ふう》に取り扱ってくれたものとも思われますし、また自分で公言するごとく、実際私を鷹揚《おうよう》だと観察していたのかも知れません。私のこせつき方は頭の中の現象で、それほど外へ出なかったようにも考えられますから、あるいは奥さんの方で胡魔化《ごまか》されていたのかも解《わか》りません。
私の心が静まると共に、私は段々家族のものと接近して来ました。奥さんともお嬢さんとも笑談《じょうだん》をいうようになりました。茶を入れたからといって向うの室《へや》へ呼ばれる日もありました。また私の方で菓子を買って来て、二人をこっちへ招いたりする晩もありました。私は急に交際の区域が殖《ふ》えたように感じました。それがために大切な勉強の時間を潰《つぶ》される事も何度となくありました。不思議にも、その妨害が私には一向《いっこう》邪魔にならなかったのです。奥さんはもとより閑人《ひまじん》でした。お嬢さんは学校へ行く上に、花だの琴だのを習っているんだから、定めて忙しかろうと思うと、それがまた案外なもので、いくらでも時間に余裕をもっているように見えました。それで三人は顔さえ見るといっしょに集まって、世間話をしながら遊んだのです。
私を呼びに来るのは、大抵お嬢さんでした。お嬢さんは縁側を直角に曲って、私の室《へや》の前に立つ事もありますし、茶の間を抜けて、次の室の襖《ふすま》の影から姿を見せる事もありました。お嬢さんは、そこへ来てちょっと留《と》まります。それからきっと私の名を呼んで、「ご勉強?」と聞きます。私は大抵むずかしい書物を机の前に開けて、それを見詰めていましたから、傍《はた》で見たらさぞ勉強家のように見えたのでしょう。しかし実際をいうと、それほど熱心に書物を研究してはいなかったのです。頁《ページ》の上に眼は着けていながら、お嬢さんの呼びに来るのを待っているくらいなものでした。待っていて来ないと、仕方がないから私の方で立ち上がるのです。そうして向うの室の前へ行って、こっちから「ご勉強ですか」と聞くのです。
お嬢さんの部屋《へや》は茶の間と続いた六畳でした。奥さんはその茶の間にいる事もあるし、またお嬢さんの部屋にいる事もありました。つまりこの二つの部屋は仕切《しきり》があっても、ないと同じ事で、親子二人が往《い》ったり来たりして、どっち付かずに占領していたのです。私が外から声を掛けると、「おはいんなさい」と答えるのはきっと奥さんでした。お嬢さんはそこにいても滅多《めった》に返事をした事がありませんでした。
時たまお嬢さん一人で、用があって私の室へはいったついでに、そこに坐《すわ》って話し込むような場合もその内《うち》に出て来ました。そういう時には、私の心が妙に不安に冒《おか》されて来るのです。そうして若い女とただ差向《さしむか》いで坐っているのが不安なのだとばかりは思えませんでした。私は何だかそわそわし出すのです。自分で自分を裏切るような不自然な態度が私を苦しめるのです。しかし相手の方はかえって平気でした。これが琴を浚《さら》うのに声さえ碌《ろく》に出せなかった[#「出せなかった」は底本では「出せなかったの」]あの女かしらと疑われるくらい、恥ずかしがらないのです。あまり長くなるので、茶の間から母に呼ばれても、「はい」と返事をするだけで、容易に腰を上げない事さえありました。それでいてお嬢さんは決して子供ではなかったのです。私の眼にはよくそれが解《わか》っていました。よく解るように振舞って見せる痕迹《こんせき》さえ明らかでした。
十四
「私はお嬢さんの立ったあとで、ほっと一息《ひといき》するのです。それと同時に、物足りないようなまた済まないような気持になるのです。私は女らしかったのかも知れません。今の青年のあなたがたから見たらなおそう見えるでしょう。しかしその頃《ころ》の私たちは大抵そんなものだったのです。
奥さんは滅多《めった》に外出した事がありませんでした。たまに宅《うち》を留守にする時でも、お嬢さんと私を二人ぎり残して行くような事はなかったのです。それがまた偶然なのか、故意なのか、私には解らないのです。私の口からいうのは変ですが、奥さんの様子を能《よ》く観察していると、何だか自分の娘と私とを接近させたがっているらしくも見えるのです。それでいて、或《あ》る場合には、私に対して暗《あん》に警戒すると
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