とは大分《だいぶ》趣が違っていますかね」と聞かれた事を思い出した。私は自分の生れたこの古い家を、先生に見せたくもあった。また先生に見せるのが恥ずかしくもあった。
 私はまた一人家のなかへはいった。自分の机の置いてある所へ来て、新聞を読みながら、遠い東京の有様を想像した。私の想像は日本一の大きな都が、どんなに暗いなかでどんなに動いているだろうかの画面に集められた。私はその黒いなりに動かなければ仕末のつかなくなった都会の、不安でざわざわしているなかに、一点の燈火のごとくに先生の家を見た。私はその時この燈火が音のしない渦《うず》の中に、自然と捲《ま》き込まれている事に気が付かなかった。しばらくすれば、その灯《ひ》もまたふっと消えてしまうべき運命を、眼《め》の前に控えているのだとは固《もと》より気が付かなかった。
 私は今度の事件について先生に手紙を書こうかと思って、筆を執《と》りかけた。私はそれを十行ばかり書いて已《や》めた。書いた所は寸々《すんずん》に引き裂いて屑籠《くずかご》へ投げ込んだ。(先生に宛《あ》ててそういう事を書いても仕方がないとも思ったし、前例に徴《ちょう》してみると、とても返事をくれそうになかったから)。私は淋《さび》しかった。それで手紙を書くのであった。そうして返事が来れば好《い》いと思うのであった。

     六

 八月の半《なか》ばごろになって、私《わたくし》はある朋友《ほうゆう》から手紙を受け取った。その中に地方の中学教員の口があるが行かないかと書いてあった。この朋友は経済の必要上、自分でそんな位地を探し廻《まわ》る男であった。この口も始めは自分の所へかかって来たのだが、もっと好《い》い地方へ相談ができたので、余った方を私に譲る気で、わざわざ知らせて来てくれたのであった。私はすぐ返事を出して断った。知り合いの中には、ずいぶん骨を折って、教師の職にありつきたがっているものがあるから、その方へ廻《まわ》してやったら好《よ》かろうと書いた。
 私は返事を出した後で、父と母にその話をした。二人とも私の断った事に異存はないようであった。
「そんな所へ行かないでも、まだ好《い》い口があるだろう」
 こういってくれる裏に、私は二人が私に対してもっている過分な希望を読んだ。迂闊《うかつ》な父や母は、不相当な地位と収入とを卒業したての私から期待しているらしかったのである。
「相当の口って、近頃《ちかごろ》じゃそんな旨《うま》い口はなかなかあるものじゃありません。ことに兄さんと私とは専門も違うし、時代も違うんだから、二人を同じように考えられちゃ少し困ります」
「しかし卒業した以上は、少なくとも独立してやって行ってくれなくっちゃこっちも困る。人からあなたの所のご二男《じなん》は、大学を卒業なすって何をしてお出《いで》ですかと聞かれた時に返事ができないようじゃ、おれも肩身が狭いから」
 父は渋面《しゅうめん》をつくった。父の考えは、古く住み慣れた郷里から外へ出る事を知らなかった。その郷里の誰彼《だれかれ》から、大学を卒業すればいくらぐらい月給が取れるものだろうと聞かれたり、まあ百円ぐらいなものだろうかといわれたりした父は、こういう人々に対して、外聞の悪くないように、卒業したての私を片付けたかったのである。広い都を根拠地として考えている私は、父や母から見ると、まるで足を空に向けて歩く奇体《きたい》な人間に異ならなかった。私の方でも、実際そういう人間のような気持を折々起した。私はあからさまに自分の考えを打ち明けるには、あまりに距離の懸隔《けんかく》の甚《はなはだ》しい父と母の前に黙然《もくねん》としていた。
「お前のよく先生先生という方にでもお願いしたら好《い》いじゃないか。こんな時こそ」
 母はこうより外《ほか》に先生を解釈する事ができなかった。その先生は私に国へ帰ったら父の生きているうちに早く財産を分けて貰えと勧める人であった。卒業したから、地位の周旋をしてやろうという人ではなかった。
「その先生は何をしているのかい」と父が聞いた。
「何にもしていないんです」と私が答えた。
 私はとくの昔から先生の何もしていないという事を父にも母にも告げたつもりでいた。そうして父はたしかにそれを記憶しているはずであった。
「何もしていないというのは、またどういう訳かね。お前がそれほど尊敬するくらいな人なら何かやっていそうなものだがね」
 父はこういって、私を諷《ふう》した。父の考えでは、役に立つものは世の中へ出てみんな相当の地位を得て働いている。必竟《ひっきょう》やくざだから遊んでいるのだと結論しているらしかった。
「おれのような人間だって、月給こそ貰っちゃいないが、これでも遊んでばかりいるんじゃない」
 父はこうもいった。私はそれでもまだ黙っていた。
「お前のいうような偉い方なら、きっと何か口を探して下さるよ。頼んでご覧なのかい」と母が聞いた。
「いいえ」と私は答えた。
「じゃ仕方がないじゃないか。なぜ頼まないんだい。手紙でも好《い》いからお出しな」
「ええ」
 私は生返事《なまへんじ》をして席を立った。

     七

 父は明らかに自分の病気を恐れていた。しかし医者の来るたびに蒼蠅《うるさ》い質問を掛けて相手を困らす質《たち》でもなかった。医者の方でもまた遠慮して何ともいわなかった。
 父は死後の事を考えているらしかった。少なくとも自分がいなくなった後《あと》のわが家《いえ》を想像して見るらしかった。
「小供《こども》に学問をさせるのも、好《よ》し悪《あ》しだね。せっかく修業をさせると、その小供は決して宅《うち》へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」
 学問をした結果兄は今|遠国《えんごく》にいた。教育を受けた因果で、私《わたくし》はまた東京に住む覚悟を固くした。こういう子を育てた父の愚痴《ぐち》はもとより不合理ではなかった。永年住み古した田舎家《いなかや》の中に、たった一人取り残されそうな母を描《えが》き出す父の想像はもとより淋《さび》しいに違いなかった。
 わが家《いえ》は動かす事のできないものと父は信じ切っていた。その中に住む母もまた命のある間は、動かす事のできないものと信じていた。自分が死んだ後《あと》、この孤独な母を、たった一人|伽藍堂《がらんどう》のわが家に取り残すのもまた甚《はなは》だしい不安であった。それだのに、東京で好《い》い地位を求めろといって、私を強《し》いたがる父の頭には矛盾があった。私はその矛盾をおかしく思ったと同時に、そのお蔭《かげ》でまた東京へ出られるのを喜んだ。
 私は父や母の手前、この地位をできるだけの努力で求めつつあるごとくに装おわなくてはならなかった。私は先生に手紙を書いて、家の事情を精《くわ》しく述べた。もし自分の力でできる事があったら何でもするから周旋してくれと頼んだ。私は先生が私の依頼に取り合うまいと思いながらこの手紙を書いた。また取り合うつもりでも、世間の狭い先生としてはどうする事もできまいと思いながらこの手紙を書いた。しかし私は先生からこの手紙に対する返事がきっと来るだろうと思って書いた。
 私はそれを封じて出す前に母に向かっていった。
「先生に手紙を書きましたよ。あなたのおっしゃった通り。ちょっと読んでご覧なさい」
 母は私の想像したごとくそれを読まなかった。
「そうかい、それじゃ早くお出し。そんな事は他《ひと》が気を付けないでも、自分で早くやるものだよ」
 母は私をまだ子供のように思っていた。私も実際子供のような感じがした。
「しかし手紙じゃ用は足りませんよ。どうせ、九月にでもなって、私が東京へ出てからでなくっちゃ」
「そりゃそうかも知れないけれども、またひょっとして、どんな好《い》い口がないとも限らないんだから、早く頼んでおくに越した事はないよ」
「ええ。とにかく返事は来るに極《きま》ってますから、そうしたらまたお話ししましょう」
 私はこんな事に掛けて几帳面《きちょうめん》な先生を信じていた。私は先生の返事の来るのを心待ちに待った。けれども私の予期はついに外《はず》れた。先生からは一週間|経《た》っても何の音信《たより》もなかった。
「大方《おおかた》どこかへ避暑にでも行っているんでしょう」
 私は母に向かって言訳《いいわけ》らしい言葉を使わなければならなかった。そうしてその言葉は母に対する言訳ばかりでなく、自分の心に対する言訳でもあった。私は強《し》いても何かの事情を仮定して先生の態度を弁護しなければ不安になった。
 私は時々父の病気を忘れた。いっそ早く東京へ出てしまおうかと思ったりした。その父自身もおのれの病気を忘れる事があった。未来を心配しながら、未来に対する所置は一向取らなかった。私はついに先生の忠告通り財産分配の事を父にいい出す機会を得ずに過ぎた。

     八

 九月始めになって、私《わたくし》はいよいよまた東京へ出ようとした。私は父に向かって当分今まで通り学資を送ってくれるようにと頼んだ。
「ここにこうしていたって、あなたのおっしゃる通りの地位が得られるものじゃないですから」
 私は父の希望する地位を得《う》るために東京へ行くような事をいった。
「無論口の見付かるまでで好《い》いですから」ともいった。
 私は心のうちで、その口は到底私の頭の上に落ちて来ないと思っていた。けれども事情にうとい父はまたあくまでもその反対を信じていた。
「そりゃ僅《わずか》の間《あいだ》の事だろうから、どうにか都合してやろう。その代り永くはいけないよ。相当の地位を得《え》次第独立しなくっちゃ。元来学校を出た以上、出たあくる日から他《ひと》の世話になんぞなるものじゃないんだから。今の若いものは、金を使う道だけ心得ていて、金を取る方は全く考えていないようだね」
 父はこの外《ほか》にもまだ色々の小言《こごと》をいった。その中には、「昔の親は子に食わせてもらったのに、今の親は子に食われるだけだ」などという言葉があった。それらを私はただ黙って聞いていた。
 小言が一通り済んだと思った時、私は静かに席を立とうとした。父はいつ行くかと私に尋ねた。私には早いだけが好《よ》かった。
「お母さんに日を見てもらいなさい」
「そうしましょう」
 その時の私は父の前に存外《ぞんがい》おとなしかった。私はなるべく父の機嫌に逆らわずに、田舎《いなか》を出ようとした。父はまた私を引《ひ》き留《と》めた。
「お前が東京へ行くと宅《うち》はまた淋《さみ》しくなる。何しろ己《おれ》とお母さんだけなんだからね。そのおれも身体《からだ》さえ達者なら好《い》いが、この様子じゃいつ急にどんな事がないともいえないよ」
 私はできるだけ父を慰めて、自分の机を置いてある所へ帰った。私は取り散らした書物の間に坐《すわ》って、心細そうな父の態度と言葉とを、幾度《いくたび》か繰り返し眺めた。私はその時また蝉《せみ》の声を聞いた。その声はこの間中《あいだじゅう》聞いたのと違って、つくつく法師《ぼうし》の声であった。私は夏郷里に帰って、煮え付くような蝉の声の中に凝《じっ》と坐っていると、変に悲しい心持になる事がしばしばあった。私の哀愁はいつもこの虫の烈《はげ》しい音《ね》と共に、心の底に沁《し》み込むように感ぜられた。私はそんな時にはいつも動かずに、一人で一人を見詰めていた。
 私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情調を変えて来た。油蝉の声がつくつく法師の声に変るごとくに、私を取り巻く人の運命が、大きな輪廻《りんね》のうちに、そろそろ動いているように思われた。私は淋《さび》しそうな父の態度と言葉を繰り返しながら、手紙を出しても返事を寄こさない先生の事をまた憶《おも》い浮べた。先生と父とは、まるで反対の印象を私に与える点において、比較の上にも、連想の上にも、いっしょに私の頭に上《のぼ》りやすかった。
 私はほとんど父のすべても知り尽《つく》していた。もし父を離れるとすれば、情合《じょうあい》の
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