濯したての真白《まっしろ》なものに限られていた。
「カラやカフスと同じ事さ。汚れたのを用いるくらいなら、一層《いっそ》始《はじ》めから色の着いたものを使うが好《い》い。白ければ純白でなくっちゃ」
 こういわれてみると、なるほど先生は潔癖であった。書斎なども実に整然《きちり》と片付いていた。無頓着《むとんじゃく》な私には、先生のそういう特色が折々著しく眼に留まった。
「先生は癇性《かんしょう》ですね」とかつて奥さんに告げた時、奥さんは「でも着物などは、それほど気にしないようですよ」と答えた事があった。それを傍《そば》に聞いていた先生は、「本当をいうと、私は精神的に癇性なんです。それで始終苦しいんです。考えると実に馬鹿馬鹿《ばかばか》しい性分《しょうぶん》だ」といって笑った。精神的に癇性という意味は、俗にいう神経質という意味か、または倫理的に潔癖だという意味か、私には解《わか》らなかった。奥さんにも能《よ》く通じないらしかった。
 その晩私は先生と向い合せに、例の白い卓布《たくふ》の前に坐《すわ》った。奥さんは二人を左右に置いて、独《ひと》り庭の方を正面にして席を占めた。
「お目出とう」といって、先生が私のために杯《さかずき》を上げてくれた。私はこの盃《さかずき》に対してそれほど嬉《うれ》しい気を起さなかった。無論私自身の心がこの言葉に反響するように、飛び立つ嬉しさをもっていなかったのが、一つの源因《げんいん》であった。けれども先生のいい方も決して私の嬉《うれ》しさを唆《そそ》る浮々《うきうき》した調子を帯びていなかった。先生は笑って杯《さかずき》を上げた。私はその笑いのうちに、些《ちっ》とも意地の悪いアイロニーを認めなかった。同時に目出たいという真情も汲《く》み取る事ができなかった。先生の笑いは、「世間はこんな場合によくお目出とうといいたがるものですね」と私に物語っていた。
 奥さんは私に「結構ね。さぞお父《とう》さんやお母《かあ》さんはお喜びでしょう」といってくれた。私は突然病気の父の事を考えた。早くあの卒業証書を持って行って見せてやろうと思った。
「先生の卒業証書はどうしました」と私が聞いた。
「どうしたかね。――まだどこかにしまってあったかね」と先生が奥さんに聞いた。
「ええ、たしかしまってあるはずですが」
 卒業証書の在処《ありどころ》は二人ともよく知らなかった。

     三十三

 飯《めし》になった時、奥さんは傍《そば》に坐《すわ》っている下女《げじょ》を次へ立たせて、自分で給仕《きゅうじ》の役をつとめた。これが表立たない客に対する先生の家の仕来《しきた》りらしかった。始めの一、二回は私《わたくし》も窮屈を感じたが、度数の重なるにつけ、茶碗《ちゃわん》を奥さんの前へ出すのが、何でもなくなった。
「お茶? ご飯《はん》? ずいぶんよく食べるのね」
 奥さんの方でも思い切って遠慮のない事をいうことがあった。しかしその日は、時候が時候なので、そんなに調戯《からか》われるほど食欲が進まなかった。
「もうおしまい。あなた近頃《ちかごろ》大変|小食《しょうしょく》になったのね」
「小食になったんじゃありません。暑いんで食われないんです」
 奥さんは下女を呼んで食卓を片付けさせた後へ、改めてアイスクリームと水菓子《みずがし》を運ばせた。
「これは宅《うち》で拵《こしら》えたのよ」
 用のない奥さんには、手製のアイスクリームを客に振舞《ふるま》うだけの余裕があると見えた。私はそれを二杯|更《か》えてもらった。
「君もいよいよ卒業したが、これから何をする気ですか」と先生が聞いた。先生は半分縁側の方へ席をずらして、敷居際《しきいぎわ》で背中を障子《しょうじ》に靠《も》たせていた。
 私にはただ卒業したという自覚があるだけで、これから何をしようという目的《あて》もなかった。返事にためらっている私を見た時、奥さんは「教師?」と聞いた。それにも答えずにいると、今度は、「じゃお役人《やくにん》?」とまた聞かれた。私も先生も笑い出した。
「本当いうと、まだ何をする考えもないんです。実は職業というものについて、全く考えた事がないくらいなんですから。だいちどれが善《い》いか、どれが悪いか、自分がやって見た上でないと解《わか》らないんだから、選択に困る訳だと思います」
「それもそうね。けれどもあなたは必竟《ひっきょう》財産があるからそんな呑気《のんき》な事をいっていられるのよ。これが困る人でご覧なさい。なかなかあなたのように落ち付いちゃいられないから」
 私の友達には卒業しない前から、中学教師の口を探している人があった。私は腹の中で奥さんのいう事実を認めた。しかしこういった。
「少し先生にかぶれたんでしょう」
「碌《ろく》なかぶれ方をして下さらないのね」
 先生は苦笑した。
「かぶれても構わないから、その代りこの間いった通り、お父さんの生きてるうちに、相当の財産を分けてもらってお置きなさい。それでないと決して油断はならない」
 私は先生といっしょに、郊外の植木屋の広い庭の奥で話した、あの躑躅《つつじ》の咲いている五月の初めを思い出した。あの時帰り途《みち》に、先生が昂奮《こうふん》した語気で、私に物語った強い言葉を、再び耳の底で繰り返した。それは強いばかりでなく、むしろ凄《すご》い言葉であった。けれども事実を知らない私には同時に徹底しない言葉でもあった。
「奥さん、お宅《たく》の財産はよッぽどあるんですか」
「何だってそんな事をお聞きになるの」
「先生に聞いても教えて下さらないから」
 奥さんは笑いながら先生の顔を見た。
「教えて上げるほどないからでしょう」
「でもどのくらいあったら先生のようにしていられるか、宅《うち》へ帰って一つ父に談判する時の参考にしますから聞かして下さい」
 先生は庭の方を向いて、澄まして烟草《タバコ》を吹かしていた。相手は自然奥さんでなければならなかった。
「どのくらいってほどありゃしませんわ。まあこうしてどうかこうか暮してゆかれるだけよ、あなた。――そりゃどうでも宜《い》いとして、あなたはこれから何か為《な》さらなくっちゃ本当にいけませんよ。先生のようにごろごろばかりしていちゃ……」
「ごろごろばかりしていやしないさ」
 先生はちょっと顔だけ向け直して、奥さんの言葉を否定した。

     三十四

 私《わたくし》はその夜十時過ぎに先生の家を辞した。二、三日うちに帰国するはずになっていたので、座を立つ前に私はちょっと暇乞《いとまご》いの言葉を述べた。
「また当分お目にかかれませんから」
「九月には出ていらっしゃるんでしょうね」
 私はもう卒業したのだから、必ず九月に出て来る必要もなかった。しかし暑い盛りの八月を東京まで来て送ろうとも考えていなかった。私には位置を求めるための貴重な時間というものがなかった。
「まあ九月|頃《ごろ》になるでしょう」
「じゃずいぶんご機嫌《きげん》よう。私たちもこの夏はことによるとどこかへ行くかも知れないのよ。ずいぶん暑そうだから。行ったらまた絵端書《えはがき》でも送って上げましょう」
「どちらの見当です。もしいらっしゃるとすれば」
 先生はこの問答をにやにや笑って聞いていた。
「何まだ行くとも行かないとも極《き》めていやしないんです」
 席を立とうとした時、先生は急に私をつらまえて、「時にお父さんの病気はどうなんです」と聞いた。私は父の健康についてほとんど知るところがなかった。何ともいって来ない以上、悪くはないのだろうくらいに考えていた。
「そんなに容易《たやす》く考えられる病気じゃありませんよ。尿毒症《にょうどくしょう》が出ると、もう駄目《だめ》なんだから」
 尿毒症という言葉も意味も私には解《わか》らなかった。この前の冬休みに国で医者と会見した時に、私はそんな術語をまるで聞かなかった。
「本当に大事にしてお上げなさいよ」と奥さんもいった。「毒が脳へ廻《まわ》るようになると、もうそれっきりよ、あなた。笑い事じゃないわ」
 無経験な私は気味を悪がりながらも、にやにやしていた。
「どうせ助からない病気だそうですから、いくら心配したって仕方がありません」
「そう思い切りよく考えれば、それまでですけれども」
 奥さんは昔同じ病気で死んだという自分のお母さんの事でも憶《おも》い出したのか、沈んだ調子でこういったなり下を向いた。私も父の運命が本当に気の毒になった。
 すると先生が突然奥さんの方を向いた。
「静《しず》、お前はおれより先へ死ぬだろうかね」
「なぜ」
「なぜでもない、ただ聞いてみるのさ。それとも己《おれ》の方がお前より前に片付くかな。大抵世間じゃ旦那《だんな》が先で、細君《さいくん》が後へ残るのが当り前のようになってるね」
「そう極《きま》った訳でもないわ。けれども男の方《ほう》はどうしても、そら年が上でしょう」
「だから先へ死ぬという理屈なのかね。すると己もお前より先にあの世へ行かなくっちゃならない事になるね」
「あなたは特別よ」
「そうかね」
「だって丈夫なんですもの。ほとんど煩《わずら》った例《ためし》がないじゃありませんか。そりゃどうしたって私の方が先だわ」
「先かな」
「え、きっと先よ」
 先生は私の顔を見た。私は笑った。
「しかしもしおれの方が先へ行くとするね。そうしたらお前どうする」
「どうするって……」
 奥さんはそこで口籠《くちごも》った。先生の死に対する想像的な悲哀が、ちょっと奥さんの胸を襲ったらしかった。けれども再び顔をあげた時は、もう気分を更《か》えていた。
「どうするって、仕方がないわ、ねえあなた。老少不定《ろうしょうふじょう》っていうくらいだから」
 奥さんはことさらに私の方を見て笑談《じょうだん》らしくこういった。

     三十五

 私《わたくし》は立て掛けた腰をまたおろして、話の区切りの付くまで二人の相手になっていた。
「君はどう思います」と先生が聞いた。
 先生が先へ死ぬか、奥さんが早く亡くなるか、固《もと》より私に判断のつくべき問題ではなかった。私はただ笑っていた。
「寿命は分りませんね。私にも」
「こればかりは本当に寿命ですからね。生れた時にちゃんと極《きま》った年数をもらって来るんだから仕方がないわ。先生のお父《とう》さんやお母さんなんか、ほとんど同《おんな》じよ、あなた、亡くなったのが」
「亡くなられた日がですか」
「まさか日まで同じじゃないけれども。でもまあ同じよ。だって続いて亡くなっちまったんですもの」
 この知識は私にとって新しいものであった。私は不思議に思った。
「どうしてそう一度に死なれたんですか」
 奥さんは私の問いに答えようとした。先生はそれを遮《さえぎ》った。
「そんな話はお止《よ》しよ。つまらないから」
 先生は手に持った団扇《うちわ》をわざとばたばたいわせた。そうしてまた奥さんを顧みた。
「静《しず》、おれが死んだらこの家《うち》をお前にやろう」
 奥さんは笑い出した。
「ついでに地面も下さいよ」
「地面は他《ひと》のものだから仕方がない。その代りおれの持ってるものは皆《みん》なお前にやるよ」
「どうも有難う。けれども横文字の本なんか貰《もら》っても仕様がないわね」
「古本屋に売るさ」
「売ればいくらぐらいになって」
 先生はいくらともいわなかった。けれども先生の話は、容易に自分の死という遠い問題を離れなかった。そうしてその死は必ず奥さんの前に起るものと仮定されていた。奥さんも最初のうちは、わざとたわいのない受け答えをしているらしく見えた。それがいつの間にか、感傷的な女の心を重苦しくした。
「おれが死んだら、おれが死んだらって、まあ何遍《なんべん》おっしゃるの。後生《ごしょう》だからもう好《い》い加減にして、おれが死んだらは止《よ》して頂戴《ちょうだい》。縁喜《えんぎ》でもない。あなたが死んだら、何でもあなたの思い通りにして上げるから、それで好いじゃありませんか」
 先生は庭の方を向いて笑った。しかしそ
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